統計データはおもしろい!ためになる!

2019年度香川県統計セミナー講演
(2019年11月22日高松市「香川県社会福祉総合センター」7階第一中会議室)

1.はじめに

 ご紹介いただきました統計データ分析家の本川です。最近は「統計探偵」とも名乗っています。

 私はシンクタンクで統計データを扱う仕事を長くしておりました。また、数年前までは、大学で社会調査の中で、統計データをどのようにうまく利用すべきかというような授業も行っておりました。また、本や雑誌で統計データの読み方のような記事も書いていますし、ビジネス週刊誌のオンライン版のプレジデントオンラインで統計エッセイを、現在、連載中です。そんなことで今日皆さんの前でお話していると言う訳です。

 演題の「統計データはおもしろい!ためになる!」は私の書いた本の題名から取られておりますが、こう題したからには、おもしろい統計データ、ためになる統計データをいくつか紹介したいと思っています。

 その前に、簡単に自己紹介をして、どのようにして私が統計データ分析家や統計探偵と名乗ることになったのかをお話しておいたほうが、今日のお話を理解していただきやすくなると思います。

2.社会実情データ図録の制作

 私は農業経済という学問を大学、大学院で専攻しました。農業分野は、農家や農地、作物、家畜などに関するものなどの統計調査が数多いことで知られており、農業を勉強するため統計表を見る機会が多くなりました。

 そんな関係で、財団法人国民経済研究協会という、統計資料を多く使う老舗の経済系シンクタンクの研究員となりました。そのうちにこの研究所も経営が厳しくなりました。バブルが崩壊し、毎年会費を払ってくれる企業会員が最盛期700社あったのが100社まで減少し収入が減ってしまったからです。そのため、15年前の2004年には解散となり、私は最後の常務理事として解散の事務を扱いました。

 さあ、失職後、どうしようかと言うことになりました。そこで私が考えたのは、いい機会だから、私個人のライフワークのような仕事を新たに立ち上げることを考えました。当時、インターネットが急速に普及した時期に当っており、私も、ウェブを使い、それまで仕事上で見つけた面白い統計データをグラフにして情報発信しようと考えました。

 スクリーンに映したのが、そのときつくって、現在まで、更新を続けている「社会実情データ図録」サイトのトップページです。トップページは、新しく作成したり、更新したりした図録ページの一覧表です。図録のコード番号をクリックすると各図録ページにジャンプします。少し前、スマホでも見られるようなかたちにしました。

 図録ページの例として「大都市は眠らない」のページを見ていただきましょう。これは、皆さんも調査に携わったかもしれない厚生労働省の「国民生活基礎調査」のデータをグラフにしたものです。メインの図を、まず、目立つように最初に掲載し、図の下には、こんなカンジでコメントが入ります。関連するグラフも載せます。

 メインの図を大きくしたものをお見せします。

 睡眠不足や睡眠負債が国民の健康上の大きな課題となっているので、睡眠時間についての都道府県別の結果をグラフにして掲げています。7時間未満が睡眠不足の一応の目安と考えて、7時間以上の割合を指標としています。「以上」にしたのはグラフ上のマイナス方向が、価値上のマイナス方向と一致させるためです。

 睡眠不足の人の割合だけを示すのでは面白くないので、X軸に都市化の程度、Y軸に睡眠7時間以上割合を取った相関図を示しました。都市化をあらわす指標は、人口密度や市部人口比率がありますが、ここでは、市街地をあらわす人口集中地区(DID)に住む人口の割合を採用しています。もともと、人口集中地区は、市町村合併で、市でも農村部を多く抱えたことから、都市部を厳密にあらわす地域区分として設けられたものであることは、ご承知の方も多いと思います。

 結果は、右下がりの傾向が認められ、想定どおり、都市化が進んだ地域ほど、睡眠が十分でない人が多くなっていることが分かります。

 睡眠が十分な人は、最も割合が多い秋田では4割近いのに対して、東京、大阪、神奈川といった大都市部では4分の1近くまで少なくなるのです。

 大都市地域では、生活が忙しく、また、仕事の時間や商業・サービス施設・飲食店の開店時間などが24時間化しているので、生活が夜型に傾きがちである影響によるものだと考えられます。最近は寝不足の一因となっているスマホの普及度についても大都市のほうがやや先行しており、そのせいもあろうと思います。

 相関図における右下がりの傾向からはずれた地域もあります。宮城、北海道などは都市化が進んでいる割に、よく眠っている者が多くなっています。また、徳島、香川、岐阜などは、都市化が進んでいない割に寝不足が多くなっています。

 四国の中では、香川と徳島はよく似た位置にあるのが目立っています。愛媛はこの両県より都市化が進んでいるので寝不足の人が多いのも理解できます。高知は他の3県と比較してよく寝ている人が多くなっています。

 だから何だと言ってしまえば、それまでですが、やはり、知っておきたいデータとは言えるのではないでしょうか。香川と徳島が田舎の割に睡眠時間が少ないという点にはもしかしたら何か重要な地域の秘密が隠されているのかもしれません。忙しくするのが好きな県民性のせいかもしれません。

 こんな図録ページが沢山ぶらさがっているサイトなのです。つくりはじめたときには、100ぐらいの図録ページだったのですが、その後、週に2ページ、最近は、週に1ページの新規収録のペースでページを増やし、今では、1700ページ以上にまで増えました。最近は新規収録より、新しい年次の統計結果が発表され過去のデータを更新する方が大変になっています。

 ページにはグーグルのアドセンス広告をつけています。ここですね。図録ページの内容と関連する広告が表示されます。ここをクリックしてくれる人がいると私に何がしかの広告料が入るわけです。以前は結構な収入になったのですが、最近は、競争が激しくなって、ほんの小遣い程度しか、この広告による収入はありません。その代わり、このサイトを見た人から統計グラフを使った本や雑誌記事の引き合いが来たり、今度のように講演を依頼されるということが増えました。

3.おもしろい統計データ紹介(その1)

 図録データや雑誌などに掲載したデータから、いくつか面白いと評判が高かったものを紹介しましょう。

 おもしろいデータには、データ自体が、見たことがなく興味深いというものから、存在は知っていたデータだが、こんな風に比較したり、グラフにしたりすると面白いというものまでさまざまです。

 まず、単純に、数字そのものが興味深いというデータを紹介しましょう。

 食べ物のデータは多くの人の興味を引きます。実は、シモネタの方がもっと興味をかきたてるのですが、今日は、パスしましょう。食べ物も関心の高いテーマです。グラフには、食べ物に困っている人がどんな食品を食べる傾向にあるかを示すデータをかかげました。

 所得倍増計画を打ち出したことで知られる池田勇人首相がまだ大蔵大臣だった時に国会答弁で「貧乏人は麦を食え」と言って問題になりました。戦後の食糧の配給をやめて食料供給を市場メカニズムに戻そうと主張した発言が、そう言ったとマスコミや野党に攻撃され、有名な失言として歴史に残りました。では、現在、「貧乏人は何を食べているか」を知ろうと思っても、案外、それに関する統計データは見つけられません。ところが、日本人が全体としてどんな食品を食べているかを毎年調べている厚生労働省の「国民健康・栄養調査」では、ある年の調査で、調査対象者に食べ物に困っているかどうかを聞いて、その結果と食品摂取量をクロスした集計表を発表しました。食べ物に困るというのは、貧乏ということなので、「貧乏人は何を食べているか」が分かることになった訳です。

 結果を見ると、大きな食品群別には、米や小麦などの穀物製品を多く食べていて、肉、魚、果物と値段の張る食品ほど食べる量が少なくなっています。やはりお腹を満たす点に重点が置かれているためでしょう。嗜好品は余り食べないかというとそうでもなく、菓子類や酒・飲料はそこそこ摂取しているようです。

 穀類の中では、米もうどん・中華そば、パスタといった小麦製品もよく食べられています。いまでは「貧乏人は米も食べている」のです。一方、穀類の中でもパンやそばはそれほど食べられていません。やはり少し割高だからでしょう。一般的には、大規模に生産されていて安価な輸入小麦が多くを占めているため、小麦製品を食料困窮者がよく食べる結果になっているといえるでしょう。もっとも、だからといって、うどん県として知られる香川県を貧乏県と見なす人はいないでしょう。安いからうどんが好きとはいえないからです。

 魚介類の中では、たい、まぐろ、えび、かには余り食べられておらず、あじ・いわしなどの大衆魚や水産缶詰の消費が多くなっています。肉類の中では、牛肉の消費は少なくなっています。やはり、値段の高い食品には手が届きにくくなっているといえるでしょう。ただし、豚と鶏を比較すると鶏の方が値段が安いのに、むしろ、豚の方の消費の方が多くなっています。豚は貧乏人の味方なのです。これは、不思議な現象でした。このデータをビジネス週刊誌がやっているプレジデントオンラインというサイトに寄稿したら、非常に反響がありました。寄せられたコメントの中に、鶏より豚の方がおいしく食べるための料理がしやすく忙しい生活の中では安い鶏よりかえって合理的だという意見がありました。なるほどと思った次第です。

 こんなことが調べられているんだという意外さと日本人が世界一だということで、これまた驚きをもたらすデータに、飲酒は道徳的に許されるのかという国際比較調査の結果があります。

 このデータをみると、日本人が考える以上に、世界ではお酒を「悪」と見なす人が多いことが分かります。日本では、お酒を、「不道徳」という人は6%ですが、パキスタンでは94%の人がそう思っています。イスラム教国では飲酒を禁じているので、当然、不道徳と考える人が多くなっています。同じ東アジアの国でも、韓国は22%、中国では41%がお酒を「不道徳」としています。欧米先進国では、「不道徳」の比率は比較的低く、お酒に対して寛容ですが、日本と違って、お酒は「道徳と無関係」と考える人が多いためであり、日本のように「道徳的に許される」とまでは思われていません。ワインをこよなく好むフランスだって、18%と2割近くの人はお酒を「不道徳」と考えています。

 理由をいろいろ調べていくと、日本人はもともと世界の中で最もお酒に弱い体質なので、お酒の上でのトラブルが比較的少なく、お酒を人間関係の潤滑油として利用できる余地がかえって大きいからなのではないかと思われます。日本人がお酒に寛容なのはずっと以前からの特徴のようです。戦国時代に日本にやって来て当時の日本とヨーロッパを比較した著作を残した宣教師のルイス・フロイスは、「われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿Tonoはいかがなされた。」と尋ねると、「酔っ払ったのだ。」と答える」と書いています。

いずれにせよ、海外ではお酒に悩まされている人が非常に多いことを知らずに、お酒はいいもんだという先入観で海外の人と付き合うのは不適切なのではないでしょうか。

 次に、データがあることは分かっていたのですが、こんな風に表現されたことはなかったので面白いというグラフを紹介しましょう。

 これは、各都道府県の県内総生産を円の大きさで示し、海外の同等規模のGDP規模の国の名前を付したマップです。お手元の配布資料で詳しいところはご覧ください。

 2013年には、国内で最も経済規模の大きな東京都は、人口規模が2億5千万人のインドネシア一国の経済規模に匹敵しています。香川県は県内総生産が3.6兆円だったので、GDPがほぼ同額の中東ヨルダンの経済規模と同等だといえます。四国各県の経済規模は、大きい方から愛媛、香川、徳島、高知の順ですが、愛媛が中米コスタリカ、徳島がアフリカのカメルーン、高知が地中海に浮かぶ島国キプロスの経済規模と同等です。四国各県の経済規模は日本の中でそれほど大きいものではありません。それでも、このように世界の国単位に匹敵する経済規模を有しています。中国に抜かれたとはいえ、日本の経済規模はなお巨大だということが分かります。

 こうした形での経済規模の比較は、英国の有名経済誌であるエコノミストが得意にしている方式です。米国の各州の経済規模を同じように表現したのに続いて、日本の東北、関東、九州といった地方ブロックの経済規模をこのようにあらわしました。日本では、東北という単位より、県レベルで経済規模を比較してもらわないとピンと来ないことをさすがに海外の雑誌記者は知らなかったのでしょう。県レベルのこうした比較図は多分私がはじめて描いたものだと思います。

 次に見ていただきたいのは、高齢化率の国際比較です。65歳以上の人口比率を高齢化率と言いますが、2017年の日本の高齢化率は27.7%です。つまり4人に1人以上です。この高齢化率が世界1だということは、ご存知の方がほとんどだと思いますが、世界中の国と比較したグラフは見たことがないのではないかと思います。データが得られる193カ国の世界の国の高齢化率の分布を大陸別に点グラフで示しました。国名も全ては記載できませんでした。

 これで見ると、本当に、日本の高齢化はダントツなんだなということが実感されます。イタリアの23.0%が世界第2位であり、西欧諸国では、日本に次いで高齢化が進んでいますが、日本ほどではありません。アジアでは、本当に、日本は特別であり、日本に次いでいるのは香港の16.3%、オーストラリアの15.5%であり、かなりかけ離れています。一方、高齢化が進んでいない国も多く、アジア、アフリカ、南米には若い国が多くなっています。驚くのは、産油国であり、最も高齢化比率の低いアラブ首長国連合では、1.1%と100人に1人しか65歳以上の人がいません。

 来年2020年には。いよいよ、東京オリンピックが開催されますが、最初の東京オリンピックの1964年には、日本は、欧米先進国より高齢化率が低い、最も若い国でした。ところが、今度のオリンピックでは世界で最も老人の多い国として世界の人びとをお迎えすることになります。世界の人びとの関心事は、いずれ自分たちも襲われる超高齢化に日本はどう対処しているかという興味でしょう。

 香川の高齢化率は31.1%と全国ランキングは15位です。秋田が最も高く35.6%です。最も低いのは沖縄の21.0%であり、ドイツ、スウェーデンとほぼ同等です。下から2番目は東京の23.0%であり、ちょうどイタリアと同じです。沖縄、東京を除いてすべての都道府県が世界一の高齢化なのです。こんな風に高齢化を「見える化」するとトンデモない状況におかれていることがよく分かります。

4.おもしろい統計データ紹介(その2)

 次に香川のデータで面白そうなものをいくつか紹介したいと思います。

 今回、お話があってから、香川県のランキングで目立ったものがないかを調べました。健康データや生活や趣味のデータをかなり当たったのですが、重要そうなデータで全国の中でトップとか2位とか、最下位いった突出したものは残念ながら見当たりませんでした。

 探し方が足りないのかもしれませんが、平均から大きくはずれないところが香川の特徴と結論づけたくなりました。平均県として全国的に有名なのは静岡です。そのため、新商品のテスト販売がおこなわれることが知られています。気候温暖なのでのんびりしているからといわれますが、そういう意味では、香川も似ているのかもしれません。

 そうした中で、平均から外れていることで目立っていたのは、食の好みです。

 総務省統計局の家計調査では、県庁所在市の品目別の消費支出が計上されていて、1世帯当たりで、どんな食品を多く購入しているかが分かります。このデータから宇都宮の「ぎょうざ」や、水戸の「納豆」などがよく地域的に消費が多い食品として取り上げられます。

 調べられているすべての食品について、年間購入額の地域ランキングを調べてみると、表のように、高松は、3つで全国トップになっています。「生うどん・そば」、「乾うどん・そば」、そして外食の「日本そば・うどん」の3つです。しかも、うち2つでは全国の消費額の2倍以上となっており、また、2位以下をかなり引き離しています。「そば」と「うどん」が一緒になっているので、データとして少しすっきりしないところもありますが、やはり、香川県民のうどん好きがこうしたランキング・トップを生んでいるのは確かでしょう。

 ここまでのデータなら、皆さんも目にふれたことがあるかもしれません。ここでは、もう少し突っ込んでデータを検証してみましょう。

 まず、全国の消費額の2倍以上となっている「生うどん・そば」と外食の「日本そば・うどん」について、2000年以降毎年の高松の値を他の46都道府県の県庁所在市の値と比較して図を描いてみました。高松と全国平均だけ太線にして、他の市は薄い線にして対比しています。

 こういうグラフを描いてみると、高松はほぼ2位以下を引き離したトップを維持しており、香川県のうどん好きが視覚的に明確になります。

 そのほか、グラフを描いてみるといろいろなことに気がつきます。

 高松以外の地域のばらつきが、家庭で食べるために買う「生うどん・そば」より外食の「日本そば・うどん」の方が大きくなっています。うどん屋、そば屋で、うどん・そばを食べるかどうかの方が地域性が反映されやすいということなのでしょう。

 また、高松の「生うどん・そば」の購入額が少なくなっている点に気がつきます。一時は年間1万円以上使っていたのに、今は、7000円を切っています。全国的にも「生うどん・そば」の購入額は縮小傾向ですが、高松の方がより落ち込んでいる感じです。

 外食の「日本そば・うどん」の方はというと、2000年頃は1万円以下しか使っていなかったのに2010年には1万5千円を上回るまでに増加しましたが、その後は、縮小傾向に転じました。全国では、下がっていた消費額が高松とは反対に2010年前後からむしろ増加に転じており、まったく、逆の推移を示しています。

 香川のうどん特化度は、高松の消費額を全国の消費額で割った倍率で示すことができます。以上の2つの品目でその値の推移を見たものが次のグラフです。うどん県として広く知られるようになった香川県ですが、家庭で買う生うどんは全国以上に減る傾向です。また高まっていた外食のうどん熱は、皮肉なことに、うどん県への改名が宣言された2011年以降、むしろ、急速に冷めているようなのです。

 こうしたデータが何を意味しているかは、外からデータを眺めているだけの私にはよく分かりません。もし、行政による対外的なうどん県アピールでかえって県民が白けてきていることを意味しているとしたら少し問題なのではないでしょうか。

(注)統計課の担当者によると、うどん県が有名になり、うどん店に行列ができるようになって、県民はむしろ敬遠という理由もあげられた。さらに講演の質問で、徳島県が糖質制限で健康アップという報道が県民に影響を与えて、うどん摂取が控えられるようになったのかもしれない、という意見が開陳された。

 次に、今日のお話のご依頼があったのち、香川の県民性を位置づけるようなグラフが描けないかと模索した結果、見出したデータを紹介しましょう。使ったデータは、少し古い調査なのですが、NHKの全国県民意識調査です。

 都道府県毎の県民性の違いがよくあらわれている設問ですが、相互の関連性は薄い2つの特性、すなわち、「よそ者意識」と「無常観」を取り上げ、両者をX軸、Y軸とする散布図を描いて、県民性の分布を探ってみました。

 左側へ寄っている「よそ者意識」が希薄な地域としては、東京、神奈川、大阪、兵庫といった大都市圏と北海道が目立っています。流入者を「よそ者」扱いしないのが大都市圏や明治になってから開拓が進んだ北海道の特徴であることはいうまでもありません。

 これらの都道府県とは対照的に、大都市圏に属するにもかかわらず「よそ者意識」が強いのは愛知や京都、奈良です。

 特に愛知県民は我が国第3の経済中枢都市名古屋圏を抱えている割に「よそ者意識」が強いと多くの県民自体が自覚している点が目立っています。かつて名古屋人のパターンとして「新聞は中日、車はトヨタ、野球はドラゴンズ、銀行は東海銀行でお歳暮はかならず松坂屋で」といわれましたが、域外の資本にソッポを向き、地元のものに絶対の声援を送る特色は変わっておらず、一言で評すると「偉大なる田舎」の特性があらわれているとされます(祖父江孝男「県民性」中公新書)。

 愛知を上回って「よそ者意識」が全国で最も強い県は、島根、富山、そして我が香川です。

 一方、「無常観」は災害の多い日本列島の生活の上に仏教や方丈記などの歴史的な思想・宗教が積み重なって日本人に根づくようになった考え方だと思われますが、「無常観」が強い県としては石川、徳島、福井などがあげられます。北陸に関しては、浄土真宗の影響もあるでしょう。

 逆に「無常観」とは縁の薄い県としては、沖縄と鹿児島が目立っています。沖縄と鹿児島は他の県とは無常観では距離が大きく、日本の中でも文化的な差異が大きい地域であるといえるでしょう。

 「よそ者意識」と「無常観」という2変数から県民意識の分布を見ると、同じ北陸でも、石川、福井、富山は比較的似ていますが、新潟はかなりグループから外れることが分かります。

 北陸は戦国時代に浄土真宗(一向宗)が広がり、今でも、浄土宗系の信仰が全国の中でも根強いのですが、新潟はその点の特徴が薄いといえます。また新潟は江戸時代から江戸方面への出稼ぎが多いなど、他地域、特に首都圏との交流性の高さにおいて、北陸の中でも特異です。こうしたことから県民意識の上でも新潟とそれ以外とでは差が生じているのだと考えられます。

 また、北陸から四国に目を転じると、徳島と香川が似ており、また、愛媛と高知が似ていますが、両グループはまったく異なった県民性を有していることが分かります。

 四国各県のそれぞれの県民性をあらわす小話として次のようなものが知られています。すなわち、思いがけず1万円もらったときに、香川県人はそのまま貯金する。徳島県人は殖やして貯金する。愛媛県人は欲しいものを買ってしまう。そして高知県民は祝杯をあげて呑んでしまう、というものです(祖父江、同上)。貯金するところは香川と徳島で共通であり、使ってしまうところは愛媛と高知で共通なのです。外洋性の高知、愛媛、内湾で関西文化圏とつながる香川、徳島という立地の違いがこうした意識の差を生んでいると考えられるでしょう。

 国勢調査などの全数調査や犯罪統計のような業務統計を除けば、県別のデータがある統計でも、サンプル数の関係で、なかなか県内の地域別のデータは得られません。ましてやアンケート調査のようなものでは、全国的に県内地域を調べたような大規模調査はありません。例外的にこうしたデータが得られるものに、ここで紹介しているNHKの全国県民意識調査があります。この調査は県民性のデータとして随分使われましたが、県内地域別のデータは、サンプル数が多くないこともあって、集計されてはいるのですが、余り活用されていません。そこで、この無常観とよそ者意識の散布図を県内地域ごとに描いてみました。

 左に四国各県のそれぞれの県内地域のデータを示しました。香川県だと、高松市とそれを挟んで西讃、東讃という3地域がプロットされています。四国各県の特徴は、県内地域のばらつきが比較的小さい点にあります。参考までに瀬戸内海をはさんだ山陽地域の県内地域の分布を掲げました。広島県などは、西部、中部と東部がまるでかけ離れた意識になっています。同じ県内でも、もともとの安芸の国と備後の国とはやはり県民性が大いに違って別の県のようです。浄土真宗が発達した安芸の国では、あきらめのいいあっさりした性格、備後の国では岡山に近いせいで経済観念が発達しているともいわれますね(祖父江、同上)。

 香川県内では、高松城を中心とする東讃と丸亀城を中心とする西讃とで地域性が異なるとも言われますが、このデータでは、むしろ、四国の中心都市として島外からの人も多い支店文化の県庁所在市高松とそれ以外の差の方が大きく感じられます。また、県内の地域性があるといってもやはり徳島やそれ以外の四国各県とは異なるまとまりがあるようです。よそ者意識も無常感も強いのが香川の特徴ですが、それは県内のどの地域でも共通しているというのがもう1つの香川の特徴な訳です。

 こんな感じで、統計データを中心に興味深いグラフを作って皆さんに見てもらうのが私の主たる仕事です。役に立つ、立たないは余り考えていません。これは私にとっては、結構、楽しい仕事です。

 統計調査には大変な人力と多くのお金がかかることは、県の職員や統計調査員の皆様はよくご存知のことだろうと思います。何も、私のような統計マニアのために統計調査が行われている筈はありません。統計調査が何故行われているかを少し考えてみましょう。

5.統治の手段としての統計調査

 統計調査は、発祥を言えば、統治の道具です。秀吉が全国的に行った「検地」、いわゆる「太閤検地」がよい例です。家来になった大名からの自己申告に頼っていると正しい徴税や人馬の徴発、土木工事の割り当てができません。徴税や戦力、労力の供出をきらって過少申告する者がいるでしょう。逆に、出世の為、あるいは格が高いことを見せかけるため実際より大きな石高を申告する者もいたかもしれません。配下の戦国武将の間に不公平が生じると、反旗を翻す理由ともなりかねません。そこで、統計調査員を派遣して、同一基準、文字通りの同じモノサシで農地の面積を測り、収穫高を土地の肥沃度に合わせて査定します。土地の持ち主との癒着が生じないよう、独立した調査機関である石田三成などの子飼いの武将によって調査させます。こうして石高制と言う近世の政治体制の基本ができました。こんなことが統計調査の原型だと私は考えます。大変なお金をかけるだけのことはあった訳です。

 民主主義の時代に入ると、自分たちが選んだ政治家がつくる法律に沿って、自分たちが選んだ政治家の指示のもとで、国の役人や県の職員が調査員を募って調査するようになり、いわば、自分たちのために自分たちを統治するというかたちに変化しましたが、統計調査の基本は現代でも同じだと思います。

 国勢調査で調べられた地域別の人口は選挙区区割りの基本となり、国が集めた税金の中から県や市町村に再配分する地方交付税の算定の基本ともなります。村や町から市への昇格、あるいは県に代わって保健所を設置できたりする中核市への昇格なども国勢調査の人口が基本となります。本当は住んでいない住民までカウントし、人口を水増しすれば、その地方の財政が豊かになったり、市町村の権限が大きくなったりします。こうした算定基準は完全比例でなく、何人以上と以下という規模別で行われることが多いため、4万9999人と5万人だと大きな差が出てきます。そのため水増しの誘惑が生じる。たまに統計調査で不正が生じるのはこうした理由からでしょう。

 このため統計法では基幹統計という重要な統計調査に関しては、罰則が設けられています。調査の対象となる国民が調査に応じなかったり、正しい情報を申告しなかったりした場合は罰則の対象となります。ただし、本当に厳しい罰則は、調査する行政側のインチキの方に設けられています。これも公平な統治、ガバナンスを確保するための仕組みです。

 ときどき警察が発表する犯罪件数や交通事故件数などでも、警察署の成績をあげるために、数字の操作が行われたというような報道がなされます。そして関係者が戒告処分や降格になったなどの内部処分を受けることになります。警察の統計などは、国勢調査などとは異なり、調査統計ではなく業務統計と呼ばれます。数字を調べるために独自の調査が行われるのではなく、業務を行っているうちに集積されたデータを統計としてまとめているに過ぎないからです。こうした業務統計では数字のインチキが生じがちなのです。私は大学で業務統計は怪しく、頼りになるのは調査統計の方だと教わりました。だから、今でも、私は、同じ雇用状態を示す統計でも、有効求人倍率を発表するハローワークの業務統計を軽んじ、調査統計である労働力調査の失業率の方を重んじているぐらいです。今ではそんなにひどい業務統計はないんですが、何となくそんな感じになります。

 ところで、犯罪統計を基幹統計にしてしまえば数字の不正は防げます。不正を行った関係者は内部処分では済まず、犯罪者として処罰されるからです。警察の内部で犯罪者が出たら大変なので数字のインチキには敏感になるでしょう。業務統計は基幹統計になじまないという意見があるかも知れません。しかし、出生や死亡など人口の変化に関する基本統計である厚生労働省の人口動態統計は基幹統計です。これは戸籍法にもとづき市町村に出さなければいけない出生届や死亡届などを集計したものであり、業務統計に近いものです。警察統計が本当に大事な統計なら基幹統計にしてしまえばよいのです。

 統治の手段といいましたが、民主主義の時代の現代では、政策立案の手段と理解されています。政策の資料として統計データが使われる例をひとつだけ挙げましょう。

 スクリーンのグラフは学校教育費が各国のGDPの何%を占めているかの国際比較です。日本は最低レベルになっています。特に公費支出が先進国の中で最も低い状況です。文部科学省はこのデータを挙げて少人数クラスの実現へ向けた学校の先生の増員を主張しています。マスコミなども文部科学省を応援しているようです。

 こうした動きが効を奏して、ついに安倍首相は、2017年の解散総選挙に当たって、解散理由を「消費税の引き上げ分を国の借金の返済だけでなく教育の無償化に当てるという方針に変更することにしたが、その是非を問いたい」としました。この流れで、実際に、今年の10月から消費税が10%に引き上げられましたが、並行して、教育の無償化が実施されています。幼児教育は原則無償化とされ、来年4月からは高等教育も一部無償化になります。

 さて、もうひとつのグラフは、このデータを各国の15歳未満の年少人口比率と相関させたものです。学校教育費が少ないのは対象となる子供の数が少ないからだということが分かります。財務省は文部科学省の主張に対して、全く同じではありませんが、同様のデータを示して、むしろ学校の先生の増員や教育費の無償化には反対の姿勢を鮮明にしていました。ところが、前の方のデータの方が分かりやすく、説得力があるために、総選挙における与党の公約どおり、さしあたり、幼児教育の無償化が実現しました。OECDのデータの学校教育費には幼児教育の分も入っていますので、少なくとも公的負担の拡大は進むでしょう。

 例えば、こんな感じで政策決定のために統計データが使われるわけです。

 統計は、統治の手段として発達したのは確かです。しかし、今では、統計調査は単なる統治の手段という範囲を超えた役割がますます重要となっています。それは、社会観察の手段という役割です。

6.社会観察の手段としての統計調査

 アンケート調査や意識調査、マーケティング調査などが行政ばかりでなく、企業活動や市民活動の一環として行われており、調査票を使った社会調査は花盛りです。それだけ社会データについての需要があるということです。しかし、調査にはお金や労力がかかります。行政が行う統計調査は民間調査に比べて税金を使って大規模に、継続的に、しかも科学的に行われているため、民間調査とは比較にならないほど貴重なデータを得られます。

 統計法では基幹統計の結果はすみやかに国民が見やすい形で公表することを調査機関に義務づけています。調査された人にはどんな結果になったかを知る権利があるということもありますが、統計調査の結果は、統治の手段としてだけでなく、学術目的、企業活動、まちづくり、社会貢献など、多方面の様々な人が活用する社会観察の手段となっているからです。いはば、統計は国民が自分たち自らを知るための重要な手段となっており、そうした意味で国民全体の財産となっているのです。

 こうしたことからインターネットの発達を受けて、統計調査の結果は、基幹統計は義務的に、その他の一般統計でもできるだけ、各省庁のウェッブ上に公開されるようになりました。私が統計調査の結果に興味を持ち出した大学生の頃には、数字を知るために、図書館で統計書を渉猟したものです。いまは、インターネットでだいたいの統計データは入手できます。

 こうした変化は、法律の変化でも確認できます。官庁統計を規定している法律に「統計法」があります。統計調査の中で、重要なものを「基幹統計」とし、調べられる側の申告の義務化と調べる側の公表の義務化を規定している法律です。2007年に大改正が行われて、以前の「指定統計」が「基幹統計」に名称が改められましたが、そのほか、重要な変更が加えられています。

 まず、目的ですが、以前は統計の目的は記せず、「統計の真実性」を確保するためとされていただけだったのが、新法では、統計は「国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報」だから統計についての基本事項を定め、経済発展や国民生活の向上につなげるとされています。

 この趣旨に沿って、公表の義務については、場合によっては公表しないという規定が削除されました。また、公表にあたって、国民がその情報を容易に入手できるように努めると明記されています。

 さらに、国民の申告拒否や虚偽申告への罰則が懲役刑から罰金刑に緩和されました。

 統計が、統治の手段としての性格を弱め、社会観察の手段としての側面を強めたことは明らかでありましょう。

 最近、統計関係者の心を痛める事件として、いわゆる統計不正の問題が明るみに出ました。私は、この問題の本質は、行政マンがこうした2007年の統計法の改正の精神を十分理解していなかったからだと思っています。

 毎月勤労統計の調査方法の逸脱と補正ミスからはじまった統計不正問題は、予算や人員の不足を補うために規則違反を犯し、統計データの信頼性を損ねることを省みなかった残念な事案です。

 統計は、もともとは国家統治の手段として発達したものであり、強制的に情報を収集し、為政者が不都合だと思えば結果を国民に知らせないこともありえる存在だったのですが、いま、述べたように、統計法の改正は、統計調査について、統治の手段というより、社会観察の手段としての役割を優先すると宣言したといってよいでしょう。統治の手段としては、そもそも行政運営の一環である以上、統計だって、予算や人員の制約があるのならそのなかで最善を尽くせばよく、多少の規則違反は問題になりません。しかし、国民の「合理的な意思決定」のためということならそういうわけには行かないのです。

 けれど、統計の位置づけについての変化は、それ以上に、進んできていると私は感じています。

7.手段から目的への変化

「手段が目的となることを文化という」とあるオーディオ評論家がいいました。オーディオ装置は音楽を鑑賞する手段だったのに、それ自体が目的となり、数百万円の装置があるのにレコードは数枚しか持っていないというオーディオ・マニアも現れている状態を皮肉った格言ですが、確かにそういうことがいえます。

お金を貯めるのは、最初は、大きな買物をしたり、後で使うための手段だったのに、それ自体が目的になっている個人や企業がいかに多いことか。個人の場合は守銭奴といわれます。企業の場合は内部留保というやつですね。昔、絵画や音楽は、信仰や儀式といった宗教生活の手段でしたが、いつのまにかそれじたい芸術やエンターテインメントになり、目的と化しました。登山も修行や信仰のための手段から目的に転化しました。旅行も従来は商売や地域間交流の手段だったのが、いつの頃からかそれ自体が目的となりました。江戸時代のお伊勢参りは過渡期の旅行のかたちだったといってよいでしょう。タテマエは宗教目的だったけれど、実際は、観光旅行化していたのです。現代では観光旅行に行くのに、いちいち、お参りを口実にする人はいません。

統計もお伊勢参りと同じように今は過渡期にあります。この講演の題名は「統計データはおもしろい!ためになる!」ですが、こう名づけるのは、当初、少し抵抗がありました。役所が税金をつかって行っている統計調査の結果を「おもしろい、ためになる」といっては、個人的な目的をおおやけに認めたことになり、納税者に対して失礼なのではないかと感じたからです。

 もちろん、統計調査は、統治の手段や社会観察の手段として、行政ばかりでなく国民自身の「合理的な意思決定」のために実施されています。しかし、国民の共有財産となったからには、単に手段として利用するだけでなく、個人的な楽しみや興味本位な目的のために使用することをはばかる必要はなくなっているといえます。

そして、むしろ、個人的な目的でも有用だということが理解されれば、かえって、国民の統計リテラシーが向上し、統計調査の本来の意義である「合理的な意思決定」という側面が生きてくる可能性が強まる状況になっているといえましょう。教育面で、児童生徒に見映えのよい統計グラフを描かせるコンクールを開催し、優れた者を表彰するというようなことが行われていますが、それと同じことだといえましょう。今回の表題は、そんな意味があると理解しております。

8.さいごに

 これまで申し上げたように、データに基づいた合理的な行政の道具としてだけでなく、人々が自分や自分が属する社会を知るための道具としての統計の役割がますます重要となっています。しかも、統計は手段というよりそれ自体が目的とさえいえるようになっているのではないでしょうか。

 自分を知るというのが統計の大きな役割だといえますが、方法には、学問的な方法とマニア的な方法とがあります。学術論文に統計データが使われるときは学問的な方法で統計が使われているといえるでしょう。私の仕事は余り学問的ではありません。むしろマニア的です。

 私は、シンクタンクでの仕事で行政の道具として統計を扱うことが多かったのですが、今は、自分たち日本人はどんな生き方や考え方をしているのかを観察する仕事が中心になっています。統計が発達したという恵まれた環境ならではの有意義な楽しみが生れているのです。これも各地で統計調査を実際に実施されている方々のご活躍があるから可能となっていることであり、皆様に大変感謝しております。

 私の歩みと経験を織り交ぜてお話ししてきました。統計調査の大切さが意外なところにまで広がっていることを知っていただけたなら幸いです。

ご清聴、感謝いたします。有難うございました。今日、スクリーンに映し出した資料は、私が設けているサイトからダウンロードできます。見にくいところがあってもう一度ご覧になりたい方はこちらからどうぞ。