統計データはおもしろい!ためになる!

2017年度福島県統計セミナー講演
(2017年11月27日福島市「福島テルサ」)

1.はじめに

 ご紹介いただきました統計データ分析家の本川です。

 私はシンクタンクで統計データを扱う仕事を長くしておりました。また、昨年度までは、立教大学で社会人大学院生を相手に、調査活動の中で、統計資料をどのようにうまく利用すべきかというような授業も行っておりました。また、何冊か統計データの読み方のような本も書いていますし、ビジネス週刊誌のオンライン版のダイヤモンド・オンラインで統計エッセイを、現在、連載中です。そんなことで今日皆さんの前でお話していると言う訳です。

 演題の「統計データはおもしろい!ためになる!」は私の書いた本の題名から取られておりますが、こう題したからには、おもしろい統計データ、ためになる統計データをいくつか紹介したいと思っています。

 その前に、簡単に自己紹介をして、どのようにして私が統計データ分析家と名乗ることになったのかをお話しておいたほうが、今日のお話を理解していただきやすくなると思います。

2.社会実情データ図録の制作

 私は農業経済という学問分野を大学、大学院で専攻しました。農業分野は、農家や農地、作物、家畜などに関するものなどの統計調査が数多いことで知られており、農業を勉強するため統計表を見る機会が多くなりました。

 そんな関係で、統計資料を多く使う老舗の経済系シンクタンクの研究員となりました。組織形態は財団法人でした。そのうちにこの研究所も財政が厳しくなりました。バブルが崩壊し、毎年会費を払ってくれる企業会員が最盛期700社あったのが100社まで減少し収入が減ってしまったからです。そのため、2004年には解散となり、私は最後の常務理事として解散の事務を扱いました。

 さあ、失職後、どうしようかと言うことになりました。そこで私が考えたのは、いい機会だから、私個人のライフワークのような仕事を新たに立ち上げることを考えました。今から13年前(2004年)のことですが、当時、インターネットが急速に普及した時期に当っており、私も、ウェブを使って、それまで仕事上で見つけた面白い統計データをグラフにして情報発信しようと考えました。

 スクリーンに映したのが、そのときつくって、現在まで、更新を続けている「社会実情データ図録」サイトのトップページです。トップページは、新しく作成したり、更新したりした図録ページの一覧表です。図録のコード番号をクリックすると各図録ページにジャンプします。

 もっとも新しく収録した「大都市は眠らない」の図録を見ていただきましょう。これは、皆さんも調査に携わったかもしれない厚生労働省の国民生活基礎調査のデータをグラフにしたものです。メインの図を、まず、目立つように最初の掲載し、図の下には、こんなカンジでコメントが入ります。関連するグラフも載せます。

 メインの図を大きくしたものをお見せします。

 睡眠不足や睡眠負債が国民の健康上の大きな課題となっているので、睡眠時間についての都道府県別の結果をグラフにして掲げています。7時間未満が睡眠不足の一応の目安と考えて、7時間以上の割合を指標としています。「以上」にしたのはグラフ上のマイナス方向が、価値上のマイナス方向と一致させるためです。

 睡眠不足の人の割合だけを示すのでは面白くないので、X軸に都市化の程度、Y軸に睡眠7時間以上割合を取った相関図を示しました。都市化をあらわす指標は、人口密度や2次・3次産業の就業者比率などもありますが、ここでは、市街地をあらわす人口集中地区(DID)に住む人口の割合を採用しています。もともと、人口集中地区は、市町村合併で、市でも農村部を多く抱えたことから、都市部を厳密にあらわす地域区分として新たに設けられたものであることは、ご承知の方も多いと思います。

 結果は、右下がりの傾向が認められ、想定どおり、都市化が進んだ地域ほど、睡眠が十分でない人が多くなっていることが分かります。

 睡眠が十分な人は、最も割合が多い秋田では4割近いのに対して、東京、大阪、神奈川といった大都市部では4分の1近くまで少なくなるのです。

 大都市地域では、仕事の時間や商業・サービス施設・飲食店の開店時間などが24時間化しているので、生活が夜型に傾きがちである影響によるものだと考えられます。最近は寝不足の一因となっているスマホの普及度についても大都市のほうがやや先行しているせいもあろうと思います。

 相関図における右下がりの傾向からはずれた地域もあります。宮城、北海道などは都市化が進んでいる割に、よく眠っている者が多くなっています。また、徳島、香川、岐阜、三重、奈良などは、都市化の程度以上に寝不足が多くなっています。

 福島は、ほぼ右下がりの傾向線上に位置しており、都市化の程度が全国順位で3分の2ぐらいのところに位置し、寝不足の人もそれだけ少ない状況にあるといえます。

 だから何だと言ってしまえば、それまでですが、やはり、知っておきたいデータとは言えるのではないでしょうか。

 こんな図録ページが沢山ぶらさがっているサイトなのです。つくりはじめたときには、100ぐらいの図録ページだったのですが、その後、週に2ページ、最近は、週に1ページの新規収録のペースでページを増やし、今では、1500ページ以上にまで増えました。最近は新規収録より、新しい年次の統計結果が発表され過去のデータを更新する方が大変になっています。

 ページにはグーグルのアドセンス広告をつけています。ここですね。図録ページの内容と関連する広告が表示されます。ここをクリックしてくれる人がいると私に何がしかの広告料が入るわけです。以前は結構な収入になったのですが、最近は、環境が変って、ほんの小遣い程度しか、この広告による収入はありません。その代わり、このサイトを見た人から統計データを本や雑誌の連載にするお話が出たり、今度のように講演を依頼されるということが増えました。

3.おもしろい統計データ紹介(その1国際比較など)

 図録データや雑誌などに掲載したデータから、いくつか面白いと評判が高かったものを紹介しましょう。

 おもしろいデータには、データ自体が、見たことがなく興味深いというものから、存在は知っていたデータだが、こんな風に比較したり、グラフにしたりすると面白いというものまでさまざまです。

 まず、単純に、数字そのものが興味深いというデータを紹介しましょう。

 食べ物のデータは多くの人の興味を引きます。実は、シモネタの方がもっと興味をかきたてるのですが、今日は、パスしましょう。食べ物も関心の高いテーマです。グラフには、臭い食べ物のランキングをかかげました。アラバスターという臭さを計る単位があるということ自体が意外です。そして、これではかるととんでもなく臭い食べ物があることが分かります。よく知っているくさやや納豆の何倍もの臭さの食べ物が、海外にはいくつもあるということを知ると、それでも食べられているからには、それなりに美味しいからだろうと、一度は食べてみたい気になるので、面白いのでしょう。世界でもっとも臭いとされている食べ物は、シュール・ストレンミングというスウェーデンの魚(ニシン)の缶詰です。発酵して缶が膨張しており、ふたを開けるのは野外に限られ、しかも風下に人がいないかどうかを確かめてからでなければならないそうです。

 こんなことが調べられているんだという驚きと日本人が世界一だということで、これまた驚きをもたらすデータに、飲酒は道徳的に許されるのかという国際比較調査の結果があります。

 このデータをみると、日本人が考える以上に、世界ではお酒を「悪」と見なす人が多いことが分かります。日本では、お酒を、「不道徳」という人は6%ですが、パキスタンでは94%の人がそう思っています。イスラム教国では飲酒を禁じているので、当然、不道徳と考える人が多くなっています。同じ東アジアの国でも、韓国は22%、中国では41%がお酒を「不道徳」としています。欧米先進国では、お酒に対して、寛容ですが、日本ほどではありません。ワインの国のフランスだって、18%と2割近くの人はお酒を「不道徳」と考えているのです。

 理由をいろいろ調べていくと、日本人はもともと世界の中で最もお酒に弱い体質なので、お酒の上でのトラブルが比較的少なく、お酒を人間関係の潤滑油として利用できる余地がかえって大きいからなのではないかと思われます。お酒に寛容なのはずっと以前からのようです。戦国時代に日本にやって来て当時の日本とヨーロッパを比較した著作を残した宣教師のルイス・フロイスは、「われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿Tonoはいかがなされた。」と尋ねると、「酔っ払ったのだ。」と答える」と書いています。

 いずれにせよ、海外ではお酒に悩まされている人が非常に多いことを知らずに海外の人と付き合うのは不適切なのではないでしょうか。

 次に、データがあることは分かっていたのですが、こんな風に表現されたことはなかったので面白いというグラフを紹介しましょう。

 これは、各都道府県の県内総生産を円の大きさで示し、海外の同等規模のGDP規模の国の名前を付したマップです。見やすいようにお手元の配布資料にも掲載しましたので、細かくはそちらをご覧下さい。

 2013年には、国内で最も経済規模の大きな東京都は、人口規模が2億5千万人のインドネシア一国の経済規模に匹敵しています。福島県は県内総生産が7.2兆円だったので、GDPが同額の中央アジアのアゼルバイジャンの経済規模と同等だといえます。東北では、青森がセルビア、秋田がバーレーン、岩手がチュニジア、山形がイエメン、宮城がエクアドルの経済規模と同等です。中国に抜かれたとはいえ、日本の経済規模はなお巨大だということが分かります。

 こうした形での経済規模の比較は、英国のエコノミスト誌が得意にしている方式です。米国の各州の経済規模を同じように表現したのに続いて、日本の東北、関東、九州といった地方ブロックの経済規模をこのようにあらわしました。日本では、東北という単位より、県レベルで経済規模を比較してもらわないとピンと来ないことをさすがに海外の雑誌記者は知らなかったのでしょう。県レベルのこうした比較図は多分私がはじめて描いたものだと思います。

 次に見ていただきたいのは、高齢化率の国際比較です。2015年の国勢調査の高齢化率は26.6%で世界1だということは、ご存知の方がほとんどだと思いますが、世界中の国と比較したグラフは見たことがないのではないかと思います。データが得られる194カ国の世界の国の高齢化率の分布を大陸別に点グラフで示しました。国名も全ては記載できませんでした。

 これで見ると、本当に、日本の高齢化はダントツなんだなということが実感されます。イタリアの22.4%が世界第2位であり、西欧諸国では、日本に次いで高齢化が進んでいますが、日本ほどではありません。アジアでは、本当に、日本は特別であり、日本に次いでいるのは香港の15.1%、オーストラリアの15.0%であり、かなりかけ離れています。一方、高齢化が進んでいない国も多く、アジア、アフリカ、南米には若い国が多くなっています。驚くのは、産油国であり、最も高齢化比率の低いアラブ首長国連合では、1.1%と100人に1人しか65歳以上の人がいません。

 2020年には東京オリンピックが開催されますが、最初の東京オリンピックの1964年には、日本は、欧米先進国より高齢化率が低い、最も若い国でした。ところが、今度のオリンピックでは世界で最も老人の多い国として世界の人びとをお迎えすることになります。世界の人びとの関心事は、いずれ自分たちも襲われる超高齢化に日本はどう対処しているかという興味でしょう。

 福島の高齢化率は28.7%と全国ランキングは23位です。秋田が最も高く33.8%です。最も低いのは沖縄の19.6%であり、フランス、スウェーデンとほぼ同等です。下から2番目は東京の22.7%であり、イタリアを上回っています。沖縄を除いてすべての都道府県が世界一の高齢化なのです。こんな風に高齢化を「見える化」するとトンデモない状況におかれていることがよく分かります。

4.おもしろい統計データ紹介(その2福島関連データ)

 次に福島のデータで面白そうなものをいくつか紹介したいと思います。

 今回、お話があってから、福島県のランキングで目立ったものがないかを調べました。納豆の消費量が水戸とトップを争っているといったデータもあるのですが、福島市だけのデータなのでインパクトがあまりつよくありません。あれこれ当っていると、健康指標で特異なランキングを示していることが、最新の国民健康・栄養調査の結果にあらわれていることが分かりました。これもお手元の資料にプリントしておきました。

 毎年ではないのですが、厚生労働省の国民健康・栄養調査は、サンプルを拡大して都道府県の傾向を分析する調査年があります。2016年調査がこれに当っており、9月に結果の概要が公表されました。

 都道府県データが公表されたのは、5つの指標だけです。習慣的喫煙者は男性だけですが、その他は男女のデータが公表されました。

 まず、太っているかやせているかの指標であるBMIです。福島は男は高知に次ぐ2位、女性は全国トップです。全体的に女性はむしろやせすぎが心配されていますので、全国トップはあまり問題にならないと思いますが、男性は太りすぎが懸念されていますので、改善に力をいれる必要がありそうです。

 次に、増やしたほうがよい野菜と減らしたほうがよい食塩の摂取量です。福島は野菜では男女ともに長野に次いで野菜を多く食べているようです。こちらはよい結果。一方、食塩は男性は宮城に次いで2位、女性は長野に次いで2位となっており、こちらは悪い結果です。

 4番目は運動習慣として歩数の調査結果が示されており、こちらは男女とも余り目立たない中位の結果でした。男性の習慣的喫煙者は上位3位ではないのですが、やや高いという結果です。

 BMIや野菜・食塩といった栄養面で、健康上のやや特異な結果となっている点は、面白いというよりは、気になるデータをいえましょう。

 なお、例えば年齢別にみてBMIは高齢ほど高くなる傾向があります。従って高齢化が進んだ県ほど値が高くなることになります。以上の国民健康・栄養調査の結果はそうした地域の年齢構成の違いによる影響を取り除くため、年齢調整の処理をしてあります。すなわち、全国と同じ年齢構成だったらいくつの値かという計算をしたのちの数字なのです。

 次にスクリーンに映したのは、お手元の資料にもプリントしましたが、福島県民の趣味・娯楽およびスポーツの行動者率とその全国順位です。

 これは、おそらく統計調査員の皆さんも活躍されて昨年実施された総務省統計局の社会生活基本調査の結果です。この調査は、国民の生活時間と生活行動を明らかにするために行われている統計であり、サンプル数も多く、都道府県別の結果が得られる貴重な調査です。趣味・娯楽とスポーツの行動者率は、こうした分野の生活行動を過去1年に行ったことがあるかどうかの割合です。

 県民性はどんな趣味・娯楽、どんなスポーツをする人が多いかで、ある面うかがうことができるといえましょう。

 何らかの趣味・娯楽の活動を行った人の割合(83.4%)は全国36位ですし、個別の行動を見ても、概して、全国順位は低いものが多いようです。堅実でまじめな県民性の裏返しかもしれませんが、趣味が得意とはいえないようです。そのなかでも、比較的順位が高いのは、ガーデニングの9位、コーラスの12位、パチンコの18位などです。もっともパチンコは余り好ましい趣味・娯楽ではないかもしれません。

 スポーツをした人の割合も全国41位と余り高くありません。スポーツの種別では、全体的に高くない中で、ソフトボールが全国トップである点が目立っています。何か、特に、力を入れている自治体や学校があるのでしょうか?逆に全国最下位なので釣りです。

5年おきの調査を過去に遡るとつりの順位は2001年、06年、11年、16年に、それぞれ、17位、23位、46位、47位と2011年に大きく低下しています。岩手や宮城も2011年に大きく順位を落としていますので、やはり、東日本大震災の影響があったことが分かります。岩手、宮城は16年にはかなり順位を回復していますが、福島はかえって順位が最下位になりました。福島第一原発事故の影響が長引いていることが大きいといえましょう。

 趣味・娯楽やスポーツのデータを全体的に見ると、福島県では、高齢化対応の生きがい対策や健康対策として、こうした社会教育や社会体育の面での全体的な底上げが重要かもしれません。

 私は地域の仕事に長く携わっておりましたし、これまで県内では二本松市やいわき市の仕事に関係したこともありますので、福島県が会津、中通り、浜通りに大きく三区分され、相互に地域色をことにしていることは十分承知しております。

 国勢調査などの全数調査や犯罪統計のような業務統計を除けば、県別のデータがある統計でも、サンプル数の関係で、なかなか県内の地域別のデータは得られません。ましてやアンケート調査のようなものでは、全国的に県内地域を調べたような大規模調査はありません。例外的にこうしたデータが得られるものに、NHKがかなり前の1996年に行った全国県民意識調査があります。この調査は県民性のデータとして随分使われましたが、県内地域別のデータは、サンプル数が多くないこともあって、集計されてはいるのですが、余り活用されていません。その中から1つ、図録として評判が高かった図を紹介します。

 これは自分の土地の人情が好きかと設問に「はい」と答えた人の割合から各地域の愛郷心の強さをうかがおうとしたグラフです。全国だと画面に入りきらないので東日本の結果を掲げています。県別だと、全体的に、東北諸県では愛郷心が強く、都市化の進んだ南関東では、愛郷心が弱くなっています。南関東でも、埼玉や千葉では、東京への通勤者が多い埼玉中央部や千葉西部は愛郷心が非常に弱く、それ以外の地域と大きな差があることがわかります。東北の中では仙台市が特別に愛郷心が弱くなっています。福島県内を見ると、それほど大きな差ではありませんが、愛郷心が強い順に、会津、中通り、浜通りとなっています。東日本の中では、岐阜北部の飛騨高山と福島の会津と岩手沿岸の三陸海岸という3つの地域は特に愛郷心が強い地域として目立っています。異論もあるでしょうが、だいたい、大方の見方と一致する結果となっているのではないでしょうか。だからどうだということもありませんが、知って納得するデータなので面白いといえるでしょう。

 こんな感じで、主として統計データを中心に興味深いグラフを作って皆さんに見てもらうのが私の仕事です。役に立つ、立たないは余り考えていません。これは私にとっては、結構、楽しい仕事です。

 統計調査には大変な人力と多くのお金がかかることは、県の職員や統計調査員の皆様はよくご存知のことだろうと思います。何も、私のような統計マニアのために統計調査が行われている筈はありません。統計調査が何故行われているかを少し考えてみましょう。

5.統治の手段としての統計調査

 統計調査は、発祥を言えば、統治の道具です。秀吉が全国的に行った「検地」、いわゆる「太閤検地」がよい例です。家来になった大名からの自己申告に頼っていると正しい徴税や人馬の徴発、土木工事の割り当てができません。徴税や戦力、労力の供出をきらって過少申告する者がいるでしょう。逆に、出世の為、あるいは格が高いことを見せかけるため実際より大きな石高を申告する者もいたかもしれません。配下の戦国武将の間に不公平が生じると、反旗を翻す理由ともなりかねません。そこで、統計調査員を派遣して、同一基準、文字通りの同じモノサシで農地の面積を測り、収穫高を土地の肥沃度に合わせて査定します。土地の持ち主との癒着が生じないよう、独立した調査機関である石田三成などの子飼いの武将によって調査させます。こうして石高制と言う近世の政治体制の基本ができました。こんなことが統計調査の原型だと私は考えます。大変なお金をかけるだけのことはあった訳です。

 民主主義の時代に入ると、自分たちが選んだ政治家がつくる法律に沿って、自分たちが選んだ政治家の指示のもとで、国の役人や県の職員が調査員を募って調査するようになり、いはば、自分たちのために自分たちを統治するというかたちに変化しましたが、統計調査の基本は現代でも同じだと思います。

 国勢調査で調べられた地域別の人口は選挙区区割りの基本となり、国が集めた税金の中から県や市町村に再配分する地方交付税の算定の基本ともなります。地方消費税の配分も人口割が強められるそうですね。村や町から市への昇格なども国勢調査の人口が基本となります。本当は住んでいない住民までカウントし、人口を水増しすれば、その地方の財政が豊かになったり、市町村の権限が大きくなったりします。こうした算定基準は完全比例でなく、何人以上と以下という規模別で行われることが多いため、4万9999人と5万人だと大きな差が出てきます。そのため水増しの誘惑が生じる。たまに統計調査で不正が生じるのはこうした理由からでしょう。

 このため統計法では基幹統計という重要な統計調査に関しては、罰則が設けられています。調査の対象となる国民が調査に応じなかったり、正しい情報を申告しなかったりした場合は罰則の対象となります。ただし、本当に厳しい罰則は、調査する行政側のインチキの方に設けられています。これも公平な統治、ガバナンスを確保するための仕組みです。

 ときどき警察が発表する犯罪件数や交通事故件数などでも、警察署の成績をあげるために、数字の操作が行われたというような報道がなされます。そして関係者が戒告処分や降格になったなどの内部処分を受けることになります。警察の統計などは、国勢調査などとは異なり、調査統計ではなく業務統計と呼ばれます。数字を調べるために独自の調査が行われるのではなく、業務を行っているうちに集積されたデータを統計としてまとめているに過ぎないからです。こうした業務統計では数字のインチキが生じがちなのです。私は大学で業務統計は怪しく、頼りになるのは調査統計の方だと教わりました。だから、今でも、私は、同じ雇用状態を示す統計でも、有効求人倍率を発表するハローワークの業務統計を軽んじ、調査統計である労働力調査の失業率の方を重んじているぐらいです。今ではそんなにひどい業務統計はないんですが、何となくそんな感じになります。

 ところで、犯罪統計を基幹統計にしてしまえば数字の不正は防げます。不正を行った関係者は内部処分では済まず、犯罪者として処罰されるからです。警察の内部で犯罪者が出たら大変なので数字のインチキには敏感になるでしょう。業務統計は基幹統計になじまないという意見があるかも知れません。しかし、出生や死亡など人口の変化に関する基本統計である厚生労働省の人口動態統計は基幹統計です。これは戸籍法にもとづき市町村に出さなければいけない出生届や死亡届などを集計したものであり、業務統計に近いものです。警察統計が本当に大事な統計なら基幹統計にしてしまえばよいのです。

 統治の手段といいましたが、民主主義の時代の現代では、政策立案の手段と理解されています。政策の資料として統計データが使われる例をひとつだけ挙げましょう。

 スクリーンのグラフは学校教育費が各国のGDPの何%を占めているかの国際比較です。日本は最低レベルになっています。特に公費支出が先進国の中で最も低い状況です。文部科学省はこのデータを挙げて少人数クラスの実現へ向けた学校の先生の増員を主張しています。マスコミなども文部科学省を応援しているようです。

 こうした動きが効を奏して、ついに安倍首相は、先の解散総選挙で、消費税の引き上げ分を国の借金の返済に充てるはずだったのに、使途を教育の無償化に当てるという方針に変更することにしたので、これを国民に認めてもらえるかどうかを聞きたい、ということで解散に踏み切りました。解散理由としては根拠薄弱だという批判の声が起こりましたが、安倍首相としては、消費税の引き上げに対する国民の抵抗の大きさを考えて、もう、以前の選挙のときのように延期するとはいえなくなったので、人気のある政策に当てることで納得を得ようとしたに相違ありません。

 さて、もうひとつのグラフは、このデータを各国の15歳未満の年少人口比率と相関させたものです。学校教育費が少ないのは対象となる子供の数が少ないからだということが分かります。財務省は文部科学省の主張に対して、全く同じではありませんが、同様のデータを示して、むしろ学校の先生の増員や教育費の無償化には反対の姿勢を鮮明にしています。ところが、前の方のデータの方が分かりやすく、説得力があるために、総選挙における与党の公約どおり、さしあたり、幼児教育の無償化にむけて歩みが進められています。OECDのデータの学校教育費には幼児教育の分も入っていますので、少なくとも公的負担の拡大は進むでしょう。

 例えば、こんな感じで政策決定のために統計データが使われるわけです。

 統計は、統治の手段として発達したのは確かです。しかし、今では、統計調査は単なる統治の手段という範囲を超えた役割がますます重要となっています。それは、社会観察の手段という役割です。

6.社会観察の手段としての統計調査

 アンケート調査や意識調査、マーケティング調査などが行政ばかりでなく、企業活動や住民活動の一環として行われており、調査票を使った社会調査は花盛りです。それだけ社会データについての需要があるということです。しかし、調査にはお金や労力がかかります。行政が行う統計調査は民間調査に比べて税金を使って大規模に、持続的に、しかも科学的に行われているため、民間調査とは比較にならないほど貴重なデータを得られます。

 統計法では基幹統計の結果はすみやかに国民が見やすい形で公表することを調査機関に義務づけています。調査された人にはどんな結果になったかを知る権利があるということもありますが、統計調査の結果は、統治の手段としてだけでなく、学術目的、企業活動、まちづくり、社会貢献など、多方面の様々な人が活用する社会観察の手段となっているからです。いはば、統計は国民が自分たち自らを知るための重要な手段となっており、そうした意味で国民全体の財産となっているのです。

 こうしたことからインターネットの発達を受けて、統計調査の結果は、基幹統計は義務的に、その他の一般統計でもできるだけ、各省庁のウェッブ上に公開されるようになりました。私が統計調査の結果に興味を持ち出した大学生の頃には、数字を知るために、図書館で統計書を渉猟したものです。いまは、インターネットでだいたいの統計データは入手できます。

 こうした変化は、法律の変化でも確認できます。公的な統計を既定している法律に統計法があります。統計調査の中で、重要なものを基幹統計とし、調べられる側の申告の義務化と調べる側の公表の義務化を規定している法律です。2007年に大改正が行われて、以前の指定統計が基幹統計に名称が改められましたが、そのほか、重要な変更が加えられています。

 まず、目的ですが、以前は統計の目的は記せず、「統計の真実性」を確保するためとされていただけだったのが、新法では、統計は「国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報」だから統計についての基本事項を定め、経済発展や国民生活の向上につなげるとされています。

 この趣旨に沿って、公表の義務については、場合によっては公表しないという規定が削除されました。また、公表にあたって、国民がその情報を容易に入手できるように努めると明記されています。

 さらに、国民の申告拒否や虚偽申告への罰則が懲役刑から罰金刑に緩和されました。

 統計が、統治の手段としての性格を弱め、社会観察の手段としての側面を強めたことは明らかでありましょう。

 けれど、統計の位置づけについての変化は、それ以上に、進んできていると私は感じています。

7.手段から目的への変化

 「手段が目的となることを文化という」とあるオーディオ評論家がいいました。オーディオ装置は音楽を鑑賞する手段だったのに、それ自体が目的となり、数百万円の装置があるのにレコードは数枚しか持っていないというオーディオ・マニアも現れている状態を皮肉った格言ですが、確かにそういうことがいえます。

 お金を貯めるのは、最初は、大きな買物をしたり、後で使うための手段だったのに、それ自体が目的になっている個人や企業がいかに多いことか。個人の場合は守銭奴といわれます。企業の場合は内部留保というやつですね。昔、絵画や音楽は、信仰や儀式といった宗教生活の手段でしたが、いつのまにかそれじたい芸術やエンターテインメントになり、目的と化しました。登山も修行や信仰のための手段から目的に転化しました。旅行も従来は商売や地域間交流の手段だったのが、いつの頃からかそれ自体が目的となりました。江戸時代のお伊勢参りは過渡期の旅行のかたちだったといってよいでしょう。タテマエは宗教目的だったけれど、実際は、観光旅行化していたのです。現代では観光旅行に行くのに、いちいち、お参りを口実にする人はいません。

 統計もお伊勢参りと同じように今は過渡期にあります。最初、この講演の題名を「統計データはおもしろい!ためになる!」と名づける提案を担当者からうかがったときには、少し抵抗がありました。役所が税金をつかって行っている統計調査の結果を「おもしろい、ためになる」といっては、個人的な目的をおおやけに認めたことになり、納税者に対して失礼なのではないかと感じたからです。

 もちろん、統計調査は、統治の手段や社会観察の手段として、行政ばかりでなく国民自身の「合理的な意思決定」のために実施されています。しかし、国民の共有財産となったからには、単に手段として利用するだけでなく、個人的な楽しみや興味本位な目的のために使用することをはばかる必要はなくなっているといえます。

 そして、むしろ、個人的な目的でも有用だということが理解されれば、かえって、国民の統計リテラシーが向上し、統計調査の本来の意義である「合理的な意思決定」という側面が生きてくる可能性が強まる状況になっているといえましょう。教育面で、児童生徒に見映えのよい統計グラフを描かせるコンクールを開催し、優れた者を表彰するというようなことが行われていますが、それと同じことだといえましょう。今回の表題は、そんな意味があると理解しております。

 統計リテラシーということでは、最後に、今回、ひとつだけ、皆様に気をつけて頂きたいことをお話したいと思います。それは、急速な高齢化にともなうデータ比較の困難についてです。

8.高齢化のバイアスを除去してデータを比較する方法

 前のほうでふれたとおり、日本は世界一の高齢化に達しており、高齢化の進み具合もなお衰えておりません。そこで、高齢者ほど高い、低いといった傾向のあるデータでは、時系列的に、あるいは地域間の比較で、高齢化の影響が無視できないケースが多発しています。前の東京オリンピックの時代には日本の高齢化率は6%程度でしたので、国際比較も、県別比較も、高齢化によるバイアスを気にしなくともよかったのですが、高齢化率が4分の1以上となった今ではそういうわけにはいきません。

 スクリーンには、高齢化の影響を取り除いてデータを比較する3つの方法を掲げています。

 第1の方法は、高齢者とそれ以外に分け、年齢ごとにデータを追ったり、比較したりする方法です。スクリーンに映したのは、最近、日本人の栄養摂取のカロリーが減ってきているデータです。高齢者の方が食べる量が少ないので、高齢化の影響が疑われます。そこで、60歳以上とそれ未満とに分けてデータを追って見ました。60歳未満でもカロリーは減っており、高齢化の影響は無視できることが分かります。

 ちなみに、高齢者の摂取カロリーの減少は余り大きくなく、最近は、むしろ高齢者以外と逆転さえしています。何故でしょう。働く世代で働くことにともなうエネルギー消費量が減少してきているからではないでしょうか。高齢者は基本的には退職後なのでそうした要因の影響を受けにくいと考えられます。もしそうだとしたら、とんでもない変化が進行中だということになります。昔と同じ量を食べると太りすぎになってしまうなど大きな状況変化が進んでいるのですから大変です。

 第2の方法は、年齢調整です。異なる時点で、また異なる地域で、年齢構成が同じだとしたらどんな値になるかを計算しなおして比較する方法です。すでに、福島県民の健康関連データで年齢調整済みのデータによる順位を紹介しました。ここでは、がんの死亡率を粗死亡率と年齢調整済みの死亡率とで比較しています。がんで死ぬ人は増えています。しかし、これは高齢者が増えているからです。もし、高齢者の割合が同じだとすると、むしろ、がんの死亡率は減少してきているのです。次のスクリーンでは地域比較をおなじがんの死亡率で見ています。普通の死亡率では福島は宮城を除いて北海道・東北で最も低くなっています。より厳密な比較の年齢調整死亡率では、山形より高くなり、それほど低い印象ではなくなります。

 最初に紹介した大都市は眠らないについてですが、睡眠時間はこのように高齢者の方が多くなっています。そこで、睡眠時間の長さは高齢化の影響ではないかという疑いが生じます。そこで、つぎのように、年齢調整を施したグラフで高齢化の影響かどうかを確認しています。高齢化の影響はそれほどではなかったので、自信をもって最初のグラフに「大都市は眠らない」という題名をつけているのです。

 最後の第3の方法は、高齢化率との相関図を描いてみるやり方です。すでに、学校教育費の多さと年少人口比率の相関を調べた図をちょっと前に紹介しました。これと同じように、高齢化率との相関でデータを描いて見るのです。スクリーンには、主要国の医療費の大きさを対GDPであらわし、左から右に、年次別の推移を高齢化率との相関で示したグラフを掲げました。どの国も高齢化が進むにつれて医療費が増大する傾向にあることが分かります。しかし、その程度は国により異なります。米国は、高齢化の進展が緩慢であるにもかかわらず医療費は急騰しました。公的な医療保険が発達していないからです。17%という負担はさすがに多すぎます。オバマケアが導入されたのはそのためです。トランプ大統領はオバマケアの改正案を議会に提示しましたが反対が多くて実現せず、医療制度の混乱が大変な国内問題となっています。どの国でも、このカーブを見ると高騰する勢いの時期があり、その後、それを押さえ込もうと努力が払われる時期が続いています。今は、どの国も、将来の医療費増大に恐れをなして、なんとか押さえ込もうと必死である姿が浮かび上がります。日本は、同じ高齢化の時期に医療費が他の主要国より低いレベルが実現できており、医療費を押さえ込めている国として目立っています。医療費増大を恐れる程度が他国より大きいからでしょう。医療費が主要国と比較して必ずしも高くないことを客観的に示したグラフとして、医学会総会でもパネルとして掲げられました。先の学校教育費とは、逆に、医療費を抑えたい財務省などは、現時点の各国比較で日本の医療費の高さをクローズアップする傾向にあります。

9.さいごに

 データに基づいた合理的な行政の道具としてだけでなく、人々が自分や自分が属する社会を知るための道具としての統計の役割がますます重要となっています。統計は手段というよりそれ自体が目的とさえいえるようになっているのではないでしょうか。

 自分を知るというのが統計の大きな役割だといえますが、方法には、学問的な方法とマニア的な方法とがあります。学術論文に統計データが使われるときは学問的な方法で統計が使われているといえるでしょう。私の仕事は余り学問的ではありません。むしろマニア的です。

 私は、シンクタンクでの仕事で行政の道具として統計を扱うことが多かったのですが、今は、自分たち日本人はどんな生き方や考え方をしているのかを観察する仕事が中心になっています。統計が発達したという恵まれた環境ならではの有意義な楽しみが生れているのです。これも各地で統計調査を実際に実施されている方々のご活躍があるから可能となっていることであり、皆様に感謝の言葉もありません。

 私の歩みと経験を織り交ぜてお話ししてきました。統計調査の大切さが意外なところにまで広がっていることを知っていただけたなら幸いです。

 ご清聴、感謝いたします。有難うございました。今日、スクリーンに映し出した資料は、私が設けているサイトからダウンロードできます。見にくいところがあってもう一度ご覧になりたい方はこちらからどうぞ。