世界の主要国・主要地域における平均身長の長期推移(1820s〜1980s生まれ、毎10年)については、OECD資料によって図録2195、図録2196で見たが、ここでは別資料による少し新しいところまでの主要国・地域の長期推移(1896〜1996年生まれ、毎年)を掲げる。

 NCD-RisC(注)は、世界各国の平均身長の長期推移データを作成している。Our World in Dataサイトではこのデータを再掲している。そこで、ここでは、これにもとづき、世界主要国・地域の男女の平均身長の長期推移を図録にした。

(注)NCD-RisC(NCD Risk Factor Collaboration)は、肥満、喫煙など感染症以外の健康リスク(NCDs: Non-Communicable Diseases)についてのデータを提供するための世界的な科学者ネットワークである。

 データは生年別の18歳以上平均身長である。生年(生まれた年)別であるのは、各年の平均身長であると、経済発展度の異なる時代に生まれた老若が混在している平均をとることとなり、高齢化率にも影響されるからだと考えられる。各国比較だけでなく、時系列変化を追うとしてもこうした社会的要因を除いて、純粋に生理的・身体的な変化を追うためには生年別のデータを使った方がよいといえよう。生年別でないと、例えば、成人の平均身長が高くなっているとしても背の低い明治生まれが少なくなったためなのか、それとも純粋に背が高くなっているのかが分からないのである。

 データの年次は1896(明治29)〜1996(平成8)年である。日本でいえば、明治生まれの平均身長から大正生まれ、昭和生まれを経て平成生まれまでの平均身長の変化を追っている。

 日本は戦前明治期には、比較対象とした東アジアの中国や韓国、あるいは欧米と比べて最も背が低かった(女性だけは韓国と同程度だったが)。その後、他国以上のスピードで背が伸びていき、戦後から戦後高度成長期にかけ中国、韓国を抜く勢いだった。ところが、最近は日本人の平均身長は停滞し、伸び続ける中国、韓国に離される傾向となっている。

 図録2196で見たヨーロッパ諸国の長期推移では、オランダやフランスは19世紀前半生まれでは背の高さにはほとんど差がなかった。下図のように19世紀後半生まれでも女性は差がなかった。ところが、戦後、オランダがフランスを大きく身長で上回るようになった。これは、栄養上の制約が取り払われて、寒い地域の方が背が高いというもともとの遺伝的な特性(ベルクマンの法則)があらわれるようになったものとみてよかろう。


 日本人の身長は江戸時代に栄養水準の停滞や雑種強勢を阻む婚姻圏の局地化により日本史上最低レベルの身長となっていたこともあり、明治生まれの身長はまだ非常に低かった。しかし、その後、文明開化、産業の近代化、栄養改善、あるいは国内外にわたる婚姻圏の拡大を通じて目覚ましい身長の伸展を見た。もっとも最近では停滞または縮小の傾向となっており、中国や韓国に引き離されるかたちとなっている。中国や韓国は北方民族的なDNAが日本より濃いため、オランダがフランスを引き離しているのと同様に、栄養条件均等化にともなう素質顕現の動きが進み始めていると見なすことができよう。

 欧米の平均身長は一貫して東アジアの日中韓より高いまま推移している。米国と西欧を比較すると、西欧を圧倒していた米国も、伸び率は西欧を下回り、男女ともに1970年代前半には逆転している。

 米国は日本より早く身長が横ばい、低下傾向となっている点が目立っている。米国人の身長推移については、図録8798でふれているが、米国当局の調査でも、米国人の平均身長は、生年別ではなく年次別に追うと、ヒスパニック系移民の増加や貧富の差の拡大などにより2000年代初頭から低下傾向に転じている点が確認できる。

 下図には同じデータから男女差(女性の対男性比)の推移を示した。明治生まれの段階では日本と韓国、特に韓国では女性の身長は男性よりずっと低かった。それが、昭和生まれの段階以降は、その他の国と同様の若干女性の方が背が低いというレベルとなり、国による差がなくなってくる。遺伝子レベルの進化がこの期間で起こったとは考えられないので、明治生まれの段階において日本と韓国で男女差が著しかったのは、栄養供給が女性の方に十分行っていなかったためと見なすことができよう。それほど女性が劣位に置かれていたと考えざるを得ない。


(2023年12月19日収録、12月20フランス・オランダ比較図)


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