安倍元首相の銃撃事件は、犯人の統一教会(正式には世界基督教統一神霊協会。2015年に名称を世界平和統一家庭連合に変更。ここでは旧をつけない統一教会と表現)に対する個人的な恨みがその背景にあったことが明らかになったことで、統一教会の存在や霊感商法による被害がにわかにクローズアップされている。

 また政治と宗教の問題も関心を呼んでいる。統一教会とその政治組織である国際勝共連合と自民党の関係は古く、今でも多くの自民党議員が、選挙などで統一教会の支援を受けていたことが明らかになっている。今回安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者も、統一教会系の団体の集会に安倍氏がビデオメッセージを寄せていたことを知り、教団に対する怒りの矛先を安倍氏に向けることになったと供述しているという。

 カルト的な宗教集団や政治と宗教の問題は、世界各国で関心を集めており、国際意識調査でもこの点が調査されている。2018年の宗教をテーマとするISSP調査(注)の結果から、政治と宗教のかかわりに対する寛容度を調べた設問の回答を国際比較したグラフを掲げた(カルト教団への寛容度については図録9532参照)。

(注)1984年に発足した国際比較調査グループISSP(International Social Survey Programme)は約40の国と地域の研究機関が毎年、共通の調査票を使って世論調査を実施している。「政府の役割」、「宗教」、「社会的不平等」など同じテーマの調査を10年毎に実施するのが特徴で、国同士の比較とともに過去の結果と比較する時系列変化の把握も目的としている。各国とも原則18歳以上の全国の住民を母集団とし、無作為抽出による1,400人程度、最低1,000人のサンプルで調査を行っている。

 特定の宗教団体の応援で当選した政治家は、その宗教団体を優遇する方向で影響力を行使しかねない。従って、反社会的な宗教団体からの選挙応援については、政治家は受け入れるべきではなかろう。統一教会系の団体による選挙応援について、大きな問題となっているのもこの点をめぐってである。

 日本国憲法は第20条で、信教の自由を保障する一方、「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と明記している。宗教によって政治が支配されたり、国家が宗教を使って国民を思うように支配したりして、古今東西、多くの弊害が生じてきた歴史があるからである。

 しかし日本の憲法解釈では「政治上の権力」は立法権、裁判権、課税権などとされ、選挙の支援や政治献金などの政治活動は基本的に「政治上の権力」行使には当たらないとされており、グレーゾーンを残している。

 ローマ教皇のような宗教指導者が、例えばイタリアの議会選挙の直前に特定の政党は望ましくないと発言したら、その政党の候補者は軒並み落選するであろう。世俗権力と宗教権力の間の長いいさかいの歴史を有するヨーロッパでは、こんなことで政治がゆがめられるのは避けたいという国民の意見が多数派となっている。

 ISSP調査の結果を見ると、確かに、ヨーロッパの先進国を中心に、宗教指導者による選挙への影響力行使は「許されない」という意見が大多数を占めている。「許されない」の割合が最も高いのは台湾の88.6%であるが、最も低いイスラエルでも59.1%と過半数が「許されない」としており、カルト教団への許容度とは異なり、世界的にそう大きな違いはない。

 主要先進国の中では、イタリア、フランス、ドイツでは「許されない」が、それぞれ、84.4%、80.6%、79.5%と国民の多くを占めている。

 他方、米国は、カルト教団への比較的高い寛容度と同様に、「許されない」は71.1%と主要先進国の中でも最も低くなっている。

 主要先進国のうち、英国と日本は両者の中間に位置するが、日本は72.7%と米国に次いで「許されない」の割合は低く、政治と宗教の関係にあまり厳しくない。

 日本人のこうした見方が、統一教会のような反社会的な集団からでも、選挙への影響力行使を許してきた政治家が少なくなかった背景をなしているといえよう。

 このように日本人が政治と宗教の関係に海外諸国と比較しても比較的寛容である背景としては何が考えられるだろうか?

 実は、図録9532に見られるようにカルト教団への許容度についても日本人は高かった。これと政治と宗教の関係への寛容さには、相互に関連があることが、この2つのデータから見えてくる。

 主要先進国の中で米国が両方とももっとも宗教団体の自由を認めているだけでなく、最も許容度の高い国が、南アフリカ、イスラエルの2カ国である点でも共通している。だとすると、カルト教団による弊害や政治と宗教の間での特定の事件や背景があってそうなっているというより、やはり各国民の宗教観そのもの、あるいは宗教や宗教団体に対する見方が影響していると見ざるを得ない。

 米国では、国は言論の自由や宗教活動の自由を保障すべきだと考え方があるのであろうし、イスラエルはそもそもの建国の理念がユダヤ教による国造りという特殊性が影響していよう。南アフリカについては脱アパルトヘイトの線に沿って宗教の自由を憲法が保障している点と関係していると思われるが詳細不明。

 日本人のカルト教団への許容度の高さや政治と宗教に対する寛容度は、ある意味で、日本人特有の宗教心の尊重によるものと考えられる(図録3971d参照)。「教義宗教への不信」、およびそれとは対照的な「宗教心そのものへの尊重」という国民性が影響しているのではないかと私は考えている。

 しかし、同図録に見たように、「宗教心そのものへの尊重」という日本人の特性も薄れつつあり、日本も「普通の国」になりつつあるとも見られれるので、政治とが今後低くなる可能性はあろう。

 こうした動きは、基本的には、日本人の国民性自体、欧米化してきているあらわれであろうが、日本でもカルト的な宗教集団の弊害が明らかになるにつれて「宗教的なこころを大切」とばかりも言ってられないという意識変化が生じているという側面もあろう。だとすると、今後は、日本人も、カルト教団の活動や政治と宗教の関係について厳しい見方をするように変わっていく可能性がある。今回の安倍元首相の銃殺事件をめぐる騒動は、そうした考え方の転換のきっかけとなるとも予想されるのである。

(2022年8月13日収録)


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