世界価値観調査ではほぼ5年ごとに各国の幸福度と生活満足度を調べている。ここでは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのこれら指標の推移を追ってみよう。

 旧ソ連のロシア、ウクライナの1990年のデータは、ソ連が崩壊する1年前には、幸福度、生活満足度がともに人びとの半数以下が幸福ではない、あるいは満足していない水準だったことを示している。

 この時点の水準がもとからの低い水準だったのか、以前より低下してきた水準だったのかは、世界価値観調査のロシア側スタッフが、1981年に、ロシア全体では実施できないものの、ロシア全体を代表する地域と考えたダンボフ州に限って実施した調査の結果から明らかとなっている。すなわち、幸福度は1981年には幸福度で6割台、生活満足度で7割台とかなり高かったのである。なお、ダンボフ州がロシアを代表する地域であることは、後日、1995年にロシア全体と平行して検証のために実施されたタンボフ州調査の結果がロシア全体とほぼ同じ水準の幸福度、生活満足度だったことからも裏づけられた。こうした経緯については、Inglehart, R., and Klingemann, H.-D. (2000), 'Genes, Culture, Democracy, and Happiness,' in E. Diener and E.M. Suh (eds), Culture and subjective wellbeing, pp.165-184, Cambridge, MA: MIT Pressに記載されている。

 ソ連崩壊後のロシアの社会混乱には、景気後退に加え、アルコール中毒、犯罪、医療崩壊などを伴い、平均寿命さえ大きく低下した(図録8985)。生活満足度は1995年には3割以下、1999年にも3割台と1990年よりさらに大きく低下しており、厳しい生活の状況をうかがわせて余りある。不思議なのは、このように生活の厳しさが増す中でも、幸福度の水準は1990年代を通じて、低い水準とはいえ、ほぼ横ばいだった点である。社会主義体制の下では得られなかった自由、あるいは将来への希望が幸福度の低下を食い止めていたのであろうか。

 21世紀に入って徐々に経済、生活の復興が図られたため、幸福度も生活満足度も2006年には、6割前後に回復している。さらに、2011年には、資源依存型とはいえ、経済成長が実現して、さらに幸福度、生活満足度は上がっている。生活満足度はなお社会主義時代の1981年より低い水準であるが、幸福度は、社会主義時代の1981年を1割ほど上回っているのである。

 旧ソ連の構成員だったウクライナ、ベラルーシについての幸福度、生活満足度の水準や推移を見るとロシアと同様の傾向が認められる。ただ、ウクライナの1996年の生活満足度19.5%というのは驚くべき低水準である点が目立っている。この2国がロシアと大きく異なっているのは、2000年代の中頃には、ロシアを上回って幸福度、生活満足度が高くなったのに、2011年にはロシアのような持続的改善が見られず、むしろ、ロシアを下回る水準にまで、再度、低下している点である(ただし、ウクライナの生活満足度だけは2006年でもロシア以下であり、2011年にかけて上昇しているので、少し、異なる傾向である)。

 こうした2011年時点におけるロシアの回復とウクライナ、ベラルーシの沈滞という対照的な状況が、2014年に勃発したウクライナ紛争の背後に存在していることを忘れるべきではないだろう。日本の幸福度の推移に典型的に見られるように、どの国でも基本的には幸福度は余り大きく変動しないのが通例である。ウクライナの幸福度の目立った上昇と低下は、一時期の高い経済発展とその後の深刻な経済低迷によってもたらされ(下図参照)、2011年の幸福度の低下には政治体制を含め将来への大きな失望感がともなっていたのではと想像される。こうした焦燥感から国内の一部がEUに、一部がロシアに異常接近したことがウクライナ紛争の発端だったのではなかろうか。ウクライナのアイデンティティ危機とも言うべき状況は図録9465参照。

 その後、2017〜20年にかけては、3国とも比較的経済が好調で幸福度、生活満足度がともに上昇傾向をたどり、ベラルーシに至っては、ロシアを大きく越える水準にまで達した。ウクライナも過去最高を更新したが、レベルはベラルーシやロシアと比べて低いままである。

 こうした生活意識のレベル差は、下の実質GDPの推移図でウクライナがベラルーシやロシアほど経済が回復しない状況を反映していると思われる。ウクライナはソ連時代、軍事産業や宇宙産業が集積する先進地帯を有し、共産圏諸国に輸出していた。ソ連崩壊によってロシアはこうした国家機密に係る分野を国内開発にシフトさせ、他の共産圏諸国は西欧に顔を向けるようになり、いずれもウクライナから兵器やロケットを余り買わなくなった。ベラルーシはソ連時代、トラクター、家電、繊維・被服など民需品を主に生産しており、ソ連崩壊後も輸出が維持された。こうした状況が3国の経済動向の差に影響したと言えよう。

 「ソ連の崩壊後、「ウクライナの名目賃金は、常にロシアの半分、ベラルーシの3分の2くらいである。独立後の経済状況の悪さへの国民のフラストレーションが、ウクライナの政治紛争がしばしば激烈な形態をとることの背景にあると考える」(松里公孝「ポスト社会主義の政治」ちくま新書、2021年、p.247)。

 図録に掲げた生活意識の推移からは、特段、ロシアによるウクライナ侵攻の気配は感じられない。少なくともロシアがウクライナをやっかんでいる状況ではない。ウクライナが経済の低迷からなかなか抜け出せず、将来への希望をEUとの一体化に見出さるを得ない状況に置かれていた故の政治的立場の旋回がロシアの反感を招いたとは言えるかもしれない(図録8988参照)。


(2014年8月22日収録、2022年4月9日・10日更新)


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