日本では中世後期、または近世以降、「家」制度と「村」制度が相補的に形成され、現代にまで続く日本特有な社会の性格につながっているとされる。ところが鹿児島地方はその両方が未成立である側面が強い特別な地域と考えられる。

 鹿児島県における「家」制度(イエ制度)未成立の側面については、図録7244で子どもとの別居率の高い点から明らかにしたが、ここでは、「村」制度(ムラ制度)の未成立の側面を農業集落の領域確認率の低さから確認してみよう。

 「家」制度が成立した日本では、村落を構成する農家は極めて流動性が低く、固定的となり、日本的な「村」が形成される。

 一方、分割相続社会では、分割相続による世帯分離にともなって他地域からの入村や離農・離村の動きによって村落のメンバーが常に入れ替わる傾向にある。

 鹿児島県では分割相続社会が長く続いたため、「村」が未成立だった。この点が統計的にはじめて明らかとなったのは、1970年の世界農林業センサスにおいて調査された全国の農業集落の領域確認率において鹿児島県が特例的に低かったことが判明したからである。このデータを図録として掲げた。

 鹿児島県の農業集落の領域確認率が異例に低いのは、「分割相続慣行による農家、農地の流動性の高さに、薩摩藩の門割制度という歴史的経緯も加わり、「家」や凝集力の強い「村」が形成されにくかったためといえる」(坂根嘉弘「日本伝統社会と経済発展」農文協、2011年、p.148)。

 なお、鹿児島県以外でも農業集落の領域確認率が低い地域が存在しているが、鹿児島県と同じ理由かというとそうではないようだ。

 川本彰「むらの領域と農業」家の光協会(1983年)によれば、山梨、長野の低さは「調査ミスという結論」(p.385)、すなわちムラの領域の認識が未徹底だったことによる。また、秋田、山形の低さについては、農林省の再調査によって、出稼ぎにより「ムラ仕事」が不可能になっているためということが判明したという(p.386)。

 なお、「村」未成立にともなって鹿児島県民のムラ意識が低くなっている点については図録7771c参照。

 下表には参考のために鹿児島県内の地域別の領域確認率のデータを掲げた。概観するとシラス台地のひろい畑がひろがる大隅地方は低く、開発が早く進み段々畑が特徴の薩摩地方はそれに比してやや高く、島しょ部ははるかに高くなっている。


(2021年12月19日収録)


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