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1.工業化社会の盛衰

 第2次産業の就業者数の比率の長期推移から日米の工業化社会(Industrial Society)の盛衰を探ってみよう。

 米国の方が工業化は早かった。「W.W.ロストウは米国の経済的離陸を1840年としている。19世紀の初めには未だ、米国人勤労者の5人中4人が個人事業主のように働いていて、いわゆる勤め人ではなかった。1870年頃には、その割合が3人中1人となっていた。その後、産業社会が生まれ、給与所得生活をする大衆が出現するとともに、イギリス型の核家族モデルへの回帰が確定的になっていった」(エマニュエル・トッド「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上、文藝春秋、原著2017年、p.333)。産業社会は工業化社会とも訳される。

 ニューヨーク海軍造船所で建造され、1850年に進水した米国の「黒船」が日本に来航したのは1853〜54年であった。

 米国では1920年から1970年にかけての50年間、途中で1929年の大恐慌の影響で一時的に低くなったものの、ほぼ第2次産業就業者数の比率が33〜35%と最も高いレベルとなっており、この時期が工業化社会のピークといえる。

 日本では農業社会から工業化社会へのシフトが米国を追うように進展し、戦後、1970年から1990年までの20年間に第2次産業就業者数の比率が33〜34%と最も高いレベルの時期が訪れた。この時期が日本における工業化社会のピークだったといえる(毎年の動きは図録5240参照、この時期の躍進職業がものづくり関連・ハイテク職種だったことは図録3500参照)。そして、1990年以降、米国から20年遅れて、米国を追うようにこの比率は低下傾向をたどり、脱工業社会(Post-Industrial Society)への歩みを進めているといえる。

 日米は工業化社会となった時期にズレがあり、工業化社会のピークの期間も異なるが、興味深いことに、ピーク時の第2次産業就業者数の比率は、33〜35%、約3分の1と同じレベルである。工業化社会のピークの期間が日本は米国の半分以下だったのは、時代の変化が速くなったからであろう。

 2010年から20年にかけての最近の動きは、日米ともに、就業者数の構成比の変化からは、脱工業化シフトの勢いが弱まっており、米国の場合はむしろ反転している。これが中国の工業化の勢いの衰えによるものなのか、脱工業化そのものの変容によるものなのかは、なお、注視が必要である。

 参考までに図録1150aからの再掲で産業別生産シェアの明治以前の長期推移図を表示選択できるようにした。

2.ヨーロッパとの比較

 次図に1880年ごろのヨーロッパにおける工業化の進展の程度を工業人口比率で示した。

 世界の工場といわれた英国では、この時点で、40%を越えており、ベルギーやスイスでも30%台となっていた。

 図録の通り、米国は1880年ごろには、なお、30%に達していなかったので、ヨーロッパを追いかける状況にあったことが分かる。

3.特殊な変動の時期

 日米ともに大きな山形のカーブ描いて変化してきた点には変わりがないが、日本の場合、1900年代前半と第2次世界大戦の前後には大きな比率の変動があるのが目立っている。1900年代前半については、改訂後は大きな変動が見られなくなった。

@1900年代前半(改訂前データの場合のみ)

 以下に1896〜1910年の鉱工業従業者数の推移を掲げた。図録にデータを掲げた1900年から1906年にかけて鉱工業従業者数がその前後の時期と比較して激増した(工業化が大きく進展した)ことが分かる。改訂前のグラフはこれを反映されたかたちだったが、改訂後は1900〜05年の製造業6割増の動きはなかったものとされている。


A第2次世界大戦前後

 第2次世界大戦前後は日本の歴史の中でも最大規模の労働力移動の時期だった。2次産業比率が1944年に急上昇したのは、戦時中の1940〜44年には多くの男子が兵士として徴集されて母数となる有業者総数が減少した中で、軍需産業の鉱工業や運輸業では兵站線への供給のため労働力が多数投入されたからである。そして、敗戦後、軍需関連産業から労働力が引き上げられ、また戦災で破壊された工場から労働力が放出され、これらが帰還兵や引揚者とともに農業や商業などかつて戦時中に労働力が引き抜かれた産業に再度就業したため、今度は2次産業比率が急低下したのである(引き揚げ者の状況は図録5226)。下の表はこの点を数字で明確に示している。1940〜44年と1944〜47年とで符号が逆になっている産業ほど影響が大きかった産業である。なお、米国も戦時経済の1945年に2次産業比率はピークを見ており、日本と共通の事情があったと考えられる。

戦時下・戦争直後の労働力移動
 〜産業別有業人口の増減〜  単位:千人
  1940〜44年 1944〜47年
全産業 男女計 ▲787 1,634
男子 ▲1,285 2,178
女子 497 ▲544
農林業 男女計 ▲279 3,531
男子 ▲840 2,644
女子 560 887
水産業 男女計 ▲86 253
男子 ▲102 238
女子 16 15
鉱業 男女計 189 ▲120
男子 136 ▲97
女子 53 ▲23
建設業 男女計 94 219
男子 65 220
女子 29 ▲1
  1940〜44年 1944〜47年
製造業 男女計 1,191 ▲2,367
男子 926 ▲1,674
女子 265 ▲693
商業 男女計 ▲2,028 635
男子 ▲1,593 626
女子 ▲435 9
運輸通信業 男女計 247 ▲105
男子 134 ▲18
女子 114 ▲88
その他 男女計 ▲115 ▲412
男子 ▲11 239
女子 ▲105 ▲650
(再掲)2次産業 男女計 1,474 ▲2,268
男子 1,127 ▲1,551
女子 347 ▲717
注)原資料は1940年と1947年は国勢調査、1944年は「昭和19年人口調査集計結果摘要(2月22日調査)」(総理府統計局)による。
(資料)梅村又次(1988)「長期経済統計2労働力」表7-4(ただし建設業の間違い補正)

 戦争経済と戦後直後の特徴は梅村(1988)によると以下である。
  • 戦時経済では基幹産業である鉱業・製造業・運輸通信業に労働力が集結
  • 農林業は戦争が進むに連れて若干縮小
  • 女子労働力の重要な役割−男子は兵力として前線へ、あるいは公務や軍事産業への移動するが、その間隙を女子が埋める。特に農林業では女子労働力への代替が起こる
  • 農林業部門はバッファーとしての大きな役割−戦争が進むに連れて男子労働力を放出し、終戦とともに行き先のない労働力を一時的にせよ吸収

4.図録作成意図

 なお、この図録は工業化時代は男中心の時代とパラレルという仮説にたってそれはいつ頃かという問題関心から作成されたものである。具体的には20世紀には男の自殺が女に比べて相対的に減っていたが脱工業社会の到来とともに逆に男の自殺が相対的に増加した点の背景資料にしたいためであった。自殺の男女比の長期推移については図録2759「男ばかりがなぜ自殺するようになったのか」を参照。

(2013年3月13日収録、3月14日特殊な変動の時期のコメント追加、2014年9月25日米国について1880年値補正、また1840〜70年及び1970年以前の末尾5年中間年データを追加、2017年12月11日2015年更新、1915年以前改訂、2022年11月29日更新、2023年8月21日明治以前産業別生産シェア推移図表示選択)


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