初詣客の多い神社仏閣ベスト10の変遷を図示した。

 この図録の原資料である堀井憲一郎(2006)「若者殺しの時代」(講談社現代新書)によれば、日本中のイメージと欲望を実現する都市としての東京の突出が1980年代にはじまり、1990年代に固まった、とされる。新幹線ひかり・のぞみの新横浜停車本数の拡大(図録6860参照)とともに、初詣における明治神宮の首位躍進が東京の膨張をあらわす事例として取り上げられているのである。

 堀井氏の言い分を聞こう。「明治神宮は、歴史が新しい。明治天皇が祀られている。1920年大正9年の創建だ。しかも1945年の空襲で焼け、1958年に再建された。弘法大師ゆかりの川崎大師や、鎌倉時代からの伝説とともにある鶴岡八幡宮と比べると圧倒的に歴史が浅い。」1970年代までは、これらの歴史ある神社への初詣が多く、「初詣には神社の古さが重視されていたのだ。1980年代に入り、そういう歴史的な実感よりも、情報が優先する。1984年以降、初詣参拝客ベスト10の神社が固定してしまった。入れ替え戦がなくなった1990年代を象徴している。」

 最近の順位の変化については、鶴ヶ岡八幡宮が2007年に順位を上げ、30年ぶりにベスト5に入った。また、浅草寺が2005年から順位をあげ、2009年にはトップ6、2018年にはトップ4にランクインした。

 トップ10未満の神社仏閣や主な行楽地等を含めた正月三が日の人出の数については、図録3974参照。

 なお、図録で取り上げた14神社を所在都道府県とともに示すと、以下である(2009年の順)。明治神宮(東京)、川崎大師(神奈川)、成田山新勝寺(千葉)、住吉大社(大阪)、伏見稲荷大社(京都)、熱田神宮(愛知)、鶴岡八幡宮(神奈川)、浅草寺(東京)、太宰府天満宮(福岡)、大宮氷川神社(埼玉)、豊川稲荷(愛知)、春日大社(奈良)、伊勢神宮(三重)、八坂神社(京都)。

 なお、2010年からこのデータは警察から公表されていない。「「主催者が独自に調査・発表した統計数字をまとめたものであって、警察庁では数字の正確性について責任をとれない」という理由から、警察庁は10年1月から初詣の参拝人数の集計と発表をとりやめた」といわれる(門倉貴史「本当は嘘つきな統計数字」幻冬舎新書、2010年)。2018年は東京新聞の聞き取りによる(データは図録3974)。

 初詣ではないが、関連して、伊勢参宮(お伊勢参り)、善光寺、秩父巡礼、四国遍路、出羽湯殿山、成田山、越中立山など江戸時代の主な寺社参詣の年間旅行人数について掲げる。図以外の種々の参詣を含めた合計は300万人と推計され、当時の人口の1割に達していたといわれる。


【コラム】戦前に初詣客が多かった神社、及び初詣のおこり

 江戸時代から明治10年代までは初詣は一般化でなかった。「江戸時代の正月はどのようなものだったのでしょうか。現在の東京や京都などの地域では、元日は恵方に棚を作って、「年神様」(歳徳神)を迎えることが一般的で、家にこもっていました。(中略)元日に神様を家で迎え入れるスタイルや、年ごとに変わる「恵方」の社寺に参拝するスタイルなどが親しまれていたものの、明治以降、国策による新年行事の開催や神社の地位向上、鉄道の発展、庶民のレジャー意識の変化などが複合的に影響し、元日に一斉に参拝する初詣文化を形づくっていったといえます。このように見てみると、今と昔とではずいぶんと違うことに驚くのではないでしょうか。私たちは、初詣といえば、昔から連綿と続いてきた伝統と思い込んでいるところがあります。しかし意外と歴史は浅く、近代化が関わっています」(真鍋厚、オトナンサー2024.1.1)。

 宮本常一は、「食生活雑考」(1966,1969)の中で、戦前の初詣について、こう述べている(宮本常一著作集 24 食生活雑考、1977年、p.90)。

「年夜参り、元日詣では戦前も盛んであったが、戦後いよいよ盛んである。そのもっとも多いのは明治神宮ではないかと思う。昭和18、9年頃は夜9時ごろから翌朝にかけて参拝客が参道をうずめる。その数は100万といわれた。終戦後はかなり減っていたが、それでも50万を下ることはなかったであろう。いまは12時すぎてまいるようになり翌朝日の出までつづく。伊勢神宮も50万を下らない参拝客がある。そのほか福岡県太宰府神社、京都八坂神社、名古屋熱田神宮、新潟県弥彦神社などおびただしい参拝客があり、国全体としては1000万をこえると推定せられる」。

 これによれば、戦前も明治神宮がトップであったようである。近年の明治神宮の首位継続は、本文で堀井のいうような「東京の突出」の側面もさることながら、「明治回帰」あるいは「国家神道忌避の緩和」の側面が大きいのではなかろうか。

 引用文の中で、かつては夜9時頃から参詣客があったとされているが、これは、もともと日本人は、一日の区切りを日が沈んでからと捉えており、新年のはじまりは大晦日の日暮れからなので、大晦日の夜を「年を送る夜ではなく年を迎える夜」として神とともに食する特別な食事とともに祝っていたことによっている。元旦の雑煮ではなく実は年越しそばの方が古来の伝統食を受け継ぐものなのだ。江戸時代に、時計の普及により一日の区切りが夜12時と考えられるようになり、また、一年の総決算を宵のうちまでかけて行うようになったので、「宵のうちから静かに正月を迎えるなどということがなくなった」とされる。ところが、神社での行事では、以前の風習が各地に残っていたのであるが、「奇妙なことは宵の口にまいれば年夜まいりといい12時すぎてまいれば初詣でというようになったことである。もともとは一つ夜のうちにおこなわれたもので、区別はなかった」のである(以上、宮本常一の前掲書p.88〜89による)。大晦日の夜に神社で火を焚いているのもお札焼きのための便宜的なものではなく、「年の夜火」といって、お盆の祖霊を迎える火とおなじような正月神を迎える行事と考えられる。

 日本人だけでなく、時計のない時代、多くの民族で、一日は日没とともにはじまった。クリスマス・イブというのも、そもそもは、キリスト生誕日である12月25日がはじまる夜(イーブニング)という意味であり、クリスマスの前夜という意味ではなかった(NHK「チコちゃんに叱られる」2018.12.21)。

(2006年6月12日収録、2007年1月6日更新、2008年1月10日更新、2009年1月13日更新、2010年12月10日データ公表取りやめ理由、2014年2月18日コラム追加、2023年12月26日江戸時代の主な寺社参詣、2024年1月1日明治以前は一般的でなかった初詣)


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