企業が支払う人件費の中には給与と福利厚生費等の給与以外の部分とがある。この給与以外の人件費の一部となっている教育訓練費用の推移について見てみよう。

 福利厚生費について、会社全体で負担した方が社員の一体性を促進するばかりでなく結局安くつくから合理的だという意見と会社で面倒を見てもらう必要はなく、その分をむしろ給与に上乗せして欲しいという意見とがある。教育訓練費についても、会社負担で社の方針に沿ったOff-JT(off-the-job training)を行うことには意義があるという意見と社員の能力アップは個々人の自発性に任せるべきだという意見があるだろう。どちらの方向に向かっているかを統計数値で見てみよう。

 厚生労働省では「就労条件総合調査」(1999年までは「賃金労働時間制度等総合調査」という名称)という事業所対象の毎年の統計調査で3〜5年おきに人件費(労働費用)に占める教育訓練費用など給与以外の諸費用の調査項目を設定している(1982年以前にも別の調査で同じ項目を調査)。

 最新の2021年調査の結果を見ると2020年実績のデータなのでコロナの影響によって著しく低下、特に大きな規模の企業ほど低下している。

 関心がもたれる時系列変化では、1970〜80年代の上昇傾向の後、低下傾向に転じたという動きが見て取れる(2021年調査の結果は上述の理由で時系列変化を追うのには無理がある)。

 1970年代後半から80年代にかけては、エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1979年)がベストセラーとなり、日本人が、ハイテク・ブームや日本型経営に自信を深めながらバブル経済に突入していく時期に当たっている。この時期の教育訓練費の拡大傾向は、終身雇用と年功賃金という環境下で、企業が余り迷うことなく社員教育を強化していったことを示すものであるといえよう。

 バブル経済の崩壊とともに教育訓練費は減少傾向へと反転した。1人1カ月当たり教育訓練費のピークは1991年に1,670円だったので2011年は38%、約4割のダウンである。また労働費用全体の額が増減するので、その影響を取り除いた対労働費用比では、1988年の0.38%のピークから2011年の0.25%へと34%のダウンである。ただし2016年は少し戻している。
 
 社会の変化スピードが加速し、企業活動にも常に革新が求められる中で、学卒後の持続的教育訓練の必要性が低下しているとは考えにくい。そうであるなら、こうした低下傾向は企業のOff-JTの教育訓練が個人の自発性重視の方向に向かっていることをあらわしているといえるだろう。恐らくその内容もお仕着せのものから選択制のもの、あるいは自己負担を含むものへと変化しているのではないだろうか。

 さらに大きく捉えると、こうした教育訓練費用の縮小傾向は、企業が社員を育てて戦力にしていくというこれまでのやり方から、取り組む事業に合わせた即戦力を導入・活用して企業収益を図ろうとする新しいやり方へと徐々に移行しつつあることのあらわれと見ることも可能である。

 日本の歌手や歌手グループは最初は新鮮さだけで持ち歌がヒットし、その後、時間が経過するうちに段々と訓練されて歌がうまくなっていくというパターンがよく見られたのに対して、米国の歌手や歌手グループではデビュー当初から歌唱力は完成されている場合が多かったという印象がある。教育訓練が所属事務所の責務なのかそれとも個人の責任なのかという差を感じさせたものである。日本も段々と米国スタイルへと変化しつつあるのであろう。

 同様のデータで毎年の数字が同じく厚生労働省の調査である能力開発基本調査から得られるので以下に掲げておく。リーマンショック後の減少とそれからの回復過程が鮮明であったが最近はまた減少傾向があらわとなっている。一方、企業のOFF-JTから自己啓発支援へのシフトはあまり明らかでない。2020年度のOFF-JT費用の急減はコロナの影響が大きいと思われる。


【コラム】税制も自己負担による能力アップにシフト 〜特定支出控除の拡大〜

 社員の能力アップが会社負担から自己負担へシフトする傾向を本文のデータは示していると思われる。こうした変化に対応し、税制も、2013年分の確定申告における所得税の特定支出控除の拡大・適用条件緩和というかたちで、会社員の自己負担支出を支援する方向が打ち出されている。

 会社員のスーツ代などの必要経費は「これくらい使うだろう」とみなして、収入額に応じ一定額が自動的に控除される仕組みになっており、これを給与所得控除という(例えば、161万円までの給与収入の者は65万円、400万円の給与所得の者は134万円、1500万円以上の者は245万円が控除される)。

 この場合、通勤費用など国が認める「特定支出」について自腹を切って負担し、その額が多い場合には追加的に給与収入から控除される制度が1987年に設けられ、特定支出控除と呼ばれていた。しかし、給与収入400万円の者で「仕事に必要な経費を会社が払わず毎月平均11万円以上も自腹で払っている会社員は、多くない。2012年の利用者は全国でわずか6人にすぎなかった」(東京新聞2014年3月5日)。この制度を実効あらしめるため、2013年分の確定申告から、範囲が拡大し、また適用条件が緩和された。

 これまでも会社が必要とする能力アップに必要な研修費については、特定支出控除が認められていたが、適用額の下限が拡大された訳である。例えば、400万円の給与収入の者は、これまで、研修費だけなら134万円を超えた研修費の部分が控除対象となったが、これからは67万円を超えた研修費の部分が控除対象となるのである。

特定支出控除の範囲拡大と適用条件緩和
  従来 2013年分の確定申告から
仕事に必要な「特定支出」の対象範囲 ・通勤費
・転任に伴う引越費用
・研修費
・資格取得のための支出(弁護士、公認会計士、税理士などを除く)
・単身赴任者が自宅と行き来する旅費
(拡充)
・書籍、雑誌など(*)
・会社で着用が必要な衣服・制服(*)
・得意先との交際費(*)
・弁護士、公認会計士、税理士の資格取得
適用条件(勤務先によって証明されたものに限られることは不変) 給与所得控除額の総額を超えた分 給与所得控除額の半額を超えた分
(注)*の合計額の上限は65万円
(資料)東京新聞「税金それホント?特定支出控除の巻」2014年3月5日

(2013年8月21日収録、10月8日1973、82年データ追加、2014年1月8日コメント改訂、2014年3月5日コラム追加、2017年3月1日更新、4月1日能力開発基本調査データ、2019年5月3日能力開発基本調査データ、2021年11月10日更新)


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